特集「”オフケ”ってナンダ?」
尾張の郷土美術を語るうえで、避けては通れない「御深井焼」。
一体、この焼き物は何なのか?
様々な切り口から、御深井焼の「実像」を探ります。
オフケヤキの難解さ
一言では言い表せない、様々な「意味」を内包した言葉。
「御深井」のルーツ
第一義に「御深井」とは、名古屋城にあった御庭の名前です。
焼成地が複数ある?
焼き物を説明する際、「窯があった場所」は重要なファクターの一つですが、御深井焼は「名古屋城の御庭」だけで焼かれていた焼き物ではないのです。
釉薬も1種類だけではない?
もう一つ、焼き物の説明する際の重要なファクターに上げられる、「釉薬」も1種類だけではないのが、御深井焼の理解を難解にしている問題の一つ。
脇道:初期は茶入を焼いていた?
御深井焼がまだ「御深井焼」と呼ばれていなかった、江戸初期の時代の御深井焼。この時代の実像は茶入だったのではないか?
夏の自由研究「隔蓂記に出てくる謎の焼き物」
道草「祖母懐ってナンダ?」
「祖母懐」という地名、及び土について…。
時代の変遷と、背景の変容
焼き物がつくられる、その理由は時代とともに変化していきます。
尾張藩の御竃屋
御深井焼と切っても切れない関係にある、瀬戸の御窯屋を知らずして、御深井焼の実像には迫れません。
下賜品としての役割
時代がさらに下ると、御深井焼は新たな役割を担います。
在銘の作品
江戸後期の御深井焼には、印が捺されています。
作られた経緯が複雑に絡まっている
「御深井焼」という言葉で一つになっているけれども、その実像は様々な背景を持つ。
御深井焼を支えた人たち
瀬戸の御窯屋、そして江戸中期~後期に活躍した、武士階層の数寄者の影響を受け、様々なバリエーションの焼き物がつくられるようになった。