御深井焼09-在銘・御深井ワールド

本当は新元号を迎える前に…と、思ってましたが、新時代来ちゃいました。

令和もよろしくお願いいたします。<m(_ _)m>

在銘・御深井焼ワールド、はじまる

尾張藩の焼き物・御深井焼。19世紀からかなり積極的に生産されはじめます。現在、「御深井焼」の名が冠され、美術商や骨董店で見るもののほとんどがこの頃の御深井焼です。

つまり、それだけ沢山の焼き物が生産されていた、ということ。

この背景は前回の勉強部屋で触れましたね。

これは尾張藩が「藩公式の焼き物」として、瀬戸の御窯屋に注文し、作らせたものも含まれています。

尾張藩は「御深井焼」という価値を棄損しないため(つまり似たようなモノを勝手に作られ、価値を下げられないため)に、「これが尾張藩の公式の焼き物である」という証、つまり特注の印を焼き物に捺すようになるのです。

ではどんな印が捺されていたのか?

楽しい、楽しい、スタンプラリーの始まりです(笑)

スタンプその1:深井製印

丸い枠の中に「深井製」の文字が彫られています。

御深井焼の中でも比較的よく見る印で、この焼き物が「御深井で作られたよ」ということを示す印です。

ただし…

前回の勉強部屋でも、それ以前にもご紹介したように、必ずしも「御深井御庭で焼かれたモノ」とは、限りません。

あくまで「尾張藩公式の焼き物・御深井焼」としてのステータスを示すもので、これが果たして「御深井御庭で焼かれたモノ」なのか「瀬戸で焼かれたモノ」なのかの区別は、印影だけで判断できるものではありません。

大体、瀬戸で作られたものだと思っていて、大きく間違いではないとは思いますが、断言はできません。

スタンプその2:賞賜印

縦長の枠の中に「賞賜(しょうし)」の文字が彫られています。

こちらの印は「必ず深井製印と一緒に捺されている」というのが約束です。深井製印単独のモノはあっても、賞賜印単独のモノは見たことがありませんし、あったとしても恐らくニセモノです。

「賞賜」とは、「何らかの功績を称え、物を与える」の意味です。

この印の存在すること…実はかなり重要で、「あらかじめ下賜を予定して作られた御深井焼」の存在を明確に証明しているのです。

ちょっと考えれば、わかりますよね。この印を捺すのは、焼成前。つまり土成形の段階から、この印を捺していたわけです。しかも「賞賜」の言葉の意味からして、「贈答品」とはわけが違う。焼き物を作る段階で、下賜することを想定していたのです。

そしてこの「深井製」と「賞賜」の印の元となった「印章本体」は、現在の徳川美術館、つまり尾張徳川家に伝来しています。

正真正銘の「尾張藩公式」というわけです。

怪しげな痕跡

実は後世になって、この賞賜印だけが削られてしまった道具もあります。前述したように、賞賜印は必ず深井製印と一緒に捺されているので、これを削ると深井製印だけになります。なぜそんなことを…。

「賞賜」とはつまり「下賜品」としての証明でもあり、深井製印単独のものと比べ、下手な物、価値の下がるもの、という風にとらえられた時代(おそらく大正~昭和の時代)があったようで、そのころに賞賜印のみが削られ、一見すると深井製印単独の御深井焼、というモノも存在します。

しかし…賞賜印も捺された、尾張家伝来の名品の写しも存在します。

一概に「賞賜印があるから、下手なもの」とは言い切るのは、ちょっと無理筋なのです。

スタンプその3:祖母懐印

縦の小判型の枠の中に「祖母懐」の文字が彫られています。俗に「尾張藩秘蔵の祖母懐土を用いて作られた焼き物に捺されている」と、考えられていますが…必ずしもそうではない、と僕は思っています。

「これはあくまで私見である」と、前置きをしますが…

土見になっているものをいくつか見比べても、その性質にばらつきがあり、恐らく何かしら別の土と祖母懐土を混ぜているのではないか・・・と、思っています。

とはいえ、これもまた「尾張藩の公式印」であることに変わりはなく(徳川美術館に「祖母懐」の印章も伝来)、御深井焼の一つに含まれる印なのです。

スタンプその3.5?:祖母懐印 Type-B

ここまで3つのスタンプをご紹介しましたが…この3つはある程度、尾張国焼フリークスの間では知られた情報です。

実は最近…僕は「あること」に気づきまして…「祖母懐」の印にも別パターンが存在するようなのです。

学術研究でこの分野にスポットがまだ当たっていないので…社会的な信用度としてはちょっと弱いですが、僕個人は結構、確信しています(笑)

このType-Bと、勝手に僕が呼んでいる「祖母懐」の印。実はこれは御深井ではなく、尾張藩の江戸藩邸、つまり戸山屋敷・市ヶ谷屋敷の御庭で用いられた印ではないか…と、思っています。(最近、個人的に色々な発見が相次いでいます)

というわけで、このType-Bについては御深井焼からちょっと道を外れるため、「実は御深井じゃないと思うよ」という程度のお話にとどめておくことにします…。いずれまた、「戸山焼・楽々園焼」を取り上げる際、ご紹介できれば…。

というか、それまでに学術研究、進まないかなぁ…。

スタンプその4:深井瓢印

実はこの中で最も謎に包まれた印、それが深井瓢印。瓢箪の形を模した枠の中に「深井」の文字が彫られています。

先に紹介した3つの印(深井製印、賞賜印、祖母懐印)は尾張徳川家に印章そのものが伝わっているため、間違いなく確実に尾張藩の公式のモノだという、これ以上ない、完璧な証明ができるのですが…。

この深井瓢印は元になった印章が行方不明です。困りましたね。

「深井」の文字はそのまま、「御深井」を意味する言葉として、ごく自然に理解できます。

他の3つは印章が伝わっているのに、これだけ無い、というのがミステリーですねぇ。

でもこの深井瓢印には、他の印とは違った特徴があります。

「深井瓢印」に添って、尾張藩士(九朗・正木)の彫銘や印銘が捺された道具が、現在に伝わっているのです。このことから、尾張藩が深くかかわっているモノであろう…と考えられています。

ただこの深井瓢印はあまり数がありません。作行などの比較対象が少なく、この印が示す背景をまだ捉え切れないのです。

わからないこそ、ある意味ロマンあふれる印ですね~((o(´∀`)o)) ワクワク

僕はこの印こそが「御深井御庭で用いられた印(藩士たちが手造していたときの印?)」ではないかな?という疑念を抱いていますが、確信にまでは至っていません。(土の上がりを見ると、瀬戸っぽい感じがぬぐえない、イマイチ腑に落ち切らない…やはりこれも瀬戸なのか?)

まあ、あれこれ妄想する余地が残っているのが、尾張国焼の楽しさかもしれません。実に複雑怪奇。(笑)

ん~、僕も茶道具屋から尾張の骨董屋として染められてきましたね(苦笑)

「わからない」ということも、道具の一つの魅力になるとは…。

一気に広がる御深井ワールド

19世紀の在銘・御深井焼

  • 「深井製」丸印
  • 「賞賜」小判印
  • 「祖母懐」小判印
  • 「深井」瓢形印

まとめると、こんな感じ。

今回は「在印」というところにフォーカスをあてて、19世紀の御深井焼を勉強しました。実にいろいろな印が存在するんです。

しかし御深井焼の多様性は印だけではありません。

瀬戸で作らせていただけではない、御深井焼のさらに奥深い世界を覗いていきます。

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