商品陳列館・跡地はここだ!

勉強部屋をそっちのけで、「夏の自由研究」の発表です。

前回、商品陳列館の場所の特定につながる「重要な手掛かり」を発見しました。

そこからさらに資料を集め、古地図を見ながら場所を解き明かしてきます。

資料を集める

前回もそうでしたが、この「国会図書館デジタルコレクション」というのは、資料の宝庫なんですよねー。

コロナ禍で外出すること自体が憚れる昨今、ステイホームで調べものをするとき、凄まじい恩恵を感じております。ありがたやー、ありがたやー。

このデジタルコレクションの中に、ずばり「愛知県商品陳列館」のパンフレットとも言うべき「愛知県商品陳列館要覧」があります。こちらは「インターネット公開(保護期間満了)」の資料であり、コンテンツの転載は特に依頼なしでOKなので、転載元を明示の上、遠慮なく画像を転載させていただきます。

当店Webページは無断転載不可です

ちょっと最近、ウチのページの内容をまるまるコピペした文章を見かけましてねぇ…『自分はちゃんとしなきゃなー』と、我が身を正す思いを新たにしたところです…。画像にせよ文章にせよ、転載が可能か、ちゃんと確認してからWebにアップしてほしいものですが…そこまで読まない人が大半なんだろうね…。(- -)

明治43年~大正8年ぐらいまで、年ごとに色々あるのですが…ほぼ内容は一緒なので、比較的鮮明なスキャンの「愛知県商品陳列館要覧. 大正7・8年用」から引用させていただきます。

商品陳列館の略図

投稿の商品陳列館の写真も、こちらのデータを使わせてもらっていますが…。

大事なのがこの略図です。(若干、画像処理で明るくしてます)

この略図には建物の用途以外に、「門前町通り」「裏門前町通り」「猿面小路」など道の記述があります。またそれぞれの道に面して「西門」「東門」「北門」とあり、それぞれの方角も分かりますね。

「門前町通り」「裏門前町通り」 は、現代もその名(通称)で呼ばれている道の名前です。この周辺は江戸時代より寺社が密集してた町(=門前町)だったため、このように呼ばれていました。

寺社が密集していた?

この周辺のかつての姿は、「矢場町散歩」シリーズでもご紹介した、「蓬左文庫アーカイブス」で公開されている、「東寺町の成立と変遷」の中に「南寺町」の古地図が掲載されており、これを見ていただくとイメージしやすいかと思います。

一つだけ、わからない通りがあります。「猿面小路」はいったいどの道なのか…?

現在では、この名前で呼ばれている通りはありません。門前町通り、裏門前町通りの場所が江戸時代より大きく変わっていないはずなので、前回の「黙想の天地」で述べられていた「新道」というのが、恐らくこの猿面小路でしょう。

古地図を見比べる

最新地図ではなく、あえて「古地図を見る」というのは、「時間軸の変化を観測する」ための一つの手段なんですね。

普通の地図を見るのとは、ちょっと目的が違います。なので、一枚だけ古地図があっても、あんまり意味がないです…「ない」ってことは言い過ぎか、1枚でも現在の地図と比較する分には十分オモロイです。同一個所かつ、複数の年の地図を見比べることで、この「土地の経年の変化」が分かります。

江戸時代の古地図だと、その地図ごとに測量レベルに相当なバラツキがあって、単純比較がしにくいものですが…今回は「明治~大正」の時代がターゲットなので、非常にこの比較がしやすいです。過去にご紹介した「今昔マップ」の中京版でもよいですが…今回はより精細なスキャンを採用している「まちづくり資料総合案内」まちづくり情報システム(ISM)をご紹介します。

こちらは「公益財団法人名古屋まちづくり公社 名古屋都市センター」が公開しているマップデータでして…なんと…「matiteku」というスマートフォンアプリまであるのです…すごい!現地でウロウロするのが楽しくなっちゃう奴だ、これ。

現在の地図と、古地図を連動させ、さらに地図を重ねて表示できたりと、非常に高機能!対象地域が名古屋市限定ですが、現在から過去の街の風景をうかがい知るには、非常に便利なツールです。(土地の歴史を知る、という意味では防災にも非常に役立ちます)

Web版では「ISMを利用する」をクリックし、利用規約に同意の上、アクセスしてみてください。(スクショ・転載などは不可ですよ!)

目星をつけて、変化を探す

今回は「愛知県商品陳列館」がどこにあったのか、探してみます。

まずもともとが総見寺の境内にあった名古屋博物館」が前身となって、それが明治時代に立て直され、愛知県商品陳列館となったという事実から、「総見寺」に目星をつけましょう。 総見寺は現在も残っており、この位置は江戸時代から大きく変わっていません。必ずしも「寺社の場所はいつの時代も一緒」とは言い切れませんが…古くからある神社仏閣は、古地図を見るときの「目星」として結構使える、と知っておくといいですよ。

そして「なかなか変化しにくい」のがもう一つ…道路です。誰も住んでいない土地や、広大な農地の農道ならいざ知らず、ある程度の人口がある集落にできた道というのは、その土地の人たちが生活しているベース(基礎)なので、大規模な道の変化は起きにくいはずです(こちらもまた「絶対に変わらない」とは言い切れないので、その辺の留意は必要ですが…)。近代になってからの都市計画によって、区画整備が行われない限り、大体の古い道は昔のまんまです。

「猿面小路」を発見!

注意

まちづくり情報システム(ISM) の地図データは転載できないので…ここから僕が自作した地図でご紹介します。あくまで「それっぽく」つくっただけで、縮尺や内容などはかなりおおざっぱで、このページに掲載する地図には何一つ責任を負えませんので、実際の古地図データをWebで見てもらった方が、わかりやすいはずです。

こちらが明治時代後半の門前町周辺の地図。分かりやすいよう、道だけを抜き出してみました。

南北に長ーく伸びるこの2本の道が、門前町通り(西側)裏門前町通り(東側)です。この2本の道に挟まれた間に、総見寺があります。が、この地図では分からんので第二図。

昔の地図は厳密に敷地の境界線が書いてありません。「建造物」を薄い赤色で示し、「樹木」生えてるところは緑色で示しました(まあまあ適当です)。

商品陳列館の「略図」を思い出してみてください。猿面小路はこの門前町←→裏門前町をつなぐ東西の道でしたね。この明治時代の地図で、この東西に繋ぐ道は…「若宮八幡宮の北側」と「総見寺の南側」ぐらいしか見当たりません。「黙想の天地」が書かれたころに「新しくできた」ということを考えれば、明治の地図に書かれているこの2本は「新道」ではないと除外できます。

大正時代になって、この「総見寺境内」の中で、「新たに東西に繋ぐ道」ができていれば、それが猿面小路と推定できそうです。

では、大正時代になった同じ場所の地図がこちら…。

薄い青の線が「新しくできた道」です。濃い青色の線は「現在の大津通」で、明治の終わりに市電(熱田線)を通すため、拡幅工事が行われて軌道が埋設されて、でっかくなってます。

1本だけありますねえ~…東西に繋ぐ道が…!これはもう確定の赤ランプ点灯でよい気がします。しかもよく見るとその道の南側に不思議な形をした建物の図が…。

あれ?この独特の「ヨ」みたいな形って…どこかで見たような…

どうやらこの影が愛知県商品陳列館のようです。ということは、この北東の四角いところが龍影閣かぁ。

該当する場所を見に行ってみる

まちづくり情報システム(ISM) の地図で見ると、現在の「裏門前町公園の南西から、門前町通に抜ける道」が、「猿面小路」ということに!マジで近所なので見に行ってきました!

こちらは裏門前町公園から、本町通の景色(西向き)です。ほぉ…この左手に猿面茶室、松月斎、龍影閣などが建っていた庭園があったのかぁ…。

こちらは本町通から、裏門前町公園方面(東向き)の景色。今は一角が立体駐車場に…。

本町通(門前町通り)から見た赤門通。

どうやらここが「西門」の正面玄関があった場所っぽいです(これは審議ランプですけど…)。昭和の初め頃、商品陳列館がなくなってから、西門から東門に向かって真っすぐぶち抜いて、赤門通が出来たんだなぁ…。この日は28日。ちょうど「妙音さん」という縁日で、道路を封鎖してました。

その赤門通を通って、東へ抜けると…裏門前町通りへ抜けられます。おそらく、商品陳列館・跡地のど真ん中を突っ切ってきたことに…。

現在の地図に重ね合わせてみると、何となくそんなイメージ、わかりますかね。

そして裏門前町通りへ抜けたこの交差点は、全国的にやたら珍しい「懸垂型交通信号機」が設置されている交差点です。

完全に話題が脇に逸れますが…。

信号機マニアの方々には「UFO型」と親しまれ、近年は信号機のLED化に伴い、その姿を全国から消しつつあり、大須のこの信号機はちょっとした観光名所と化しているとか…。どういうわけか、大須赤門の信号機はこの独自すぎる形状のまま、LED化され今もバリバリの現役選手…。

かつてはもっとゴツくて、まさに「四角い大盛焼きそばU.F.O.」とも呼ぶべき形状をしていましたね…。僕ぐらいの世代が、往時の姿をリアルタイムで見てた最後の世代かな…?

閑話休題・・・

というわけで、「愛知県商品陳列館・及び龍影閣・猿面茶室・ 松月斎の跡地」はかなり正確な推定ができました~。

「だからなんやねん」という無粋な感想はよしてくださいねぇ…(実際、『分かったところで…?』って話なんですけど)。

自分の頭を使って、自分の手と足を使って、いろんな情報を総動員して、はるか昔の見たこともない世界を想像してみる。

これは古い道具を楽しむ「基本姿勢」だと、僕は思っています。その手掛かりとなる情報は結構、いろんなところに落ちてますし、ある程度の下地が必要。でも「興味をもって、自分で考えて、何とか分かろうとする」というマインドセットがないと、どうしたって古いモノゴトは楽しめないものですし、ぼんやり生活しているとその手掛かりを見落としがちです。だからこの「姿勢」が必要なのです。

…って言ってる僕も、そこまでストイックじゃないんですけどね。大分、気分次第なところがあります(笑)

人からいろんな話を聞いたり、教えてもらうことも大事なんですが、やっぱり自分で見て、探して、考える方が楽しいし、自由です。正解はないし、間違えるかもしれないんですが、そういうことの繰り返しで、学んでいくのが正道だと信じています。

今回の道草は、矢場町散歩の延長戦みたいな感じですね(実際、想像以上に矢場町にちかいところにあったし)

ものの見方をいろいろ変えて、古いモノゴトに興味をもっていただければ、結構楽しいよ、ということです。

また何か個人的に楽しいことがありましたら、ブログでご紹介させていただきます。

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