尾張国焼鉄道の旅09:上前津(不二見焼)

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尾張名古屋の「文化の交差点」、前津には焼き物の窯が他にもありました。

今回、尾張国焼探訪するのは、前回の龍門焼で少し触れた、不二見焼です。

幕末尾張の文化人・村瀬美香

文政12年(1829)生まれ。幕末~明治の人で、元は尾張藩士。名前は「美香」と書いて「よしか」と読みます。

現代の感覚だと、女の子の名前っぽく「みか」と、つい読みたくなる漢字ですが…この方は男性です。

また、辞典やネットの検索だと「びこう」とルビがふられていることが多いですね。なぜでしょう…わかりません。(「前津旧事誌」にはちゃんと「よしか」とルビがふってあるので、これが正しい読み方のはず)

村瀬美香は尾張藩に仕え、留書、明倫堂主事、太田代官、白鳥材木奉行、錦織奉行兼木曾材木奉行、納戸役…などを歴任。「明倫堂」とは、かつて尾張藩にあった学問を教える藩の学校のことで、現在の「愛知県立明和高校(県内でも指折りの偏差値高い公立高校)」のルーツとなった学校です。そんな経歴の人ですから、さぞかし学問に精通していた人だったと想像できます。

美香は非常に多芸多趣味交友の幅がとても広い人だったようで、中でも「篆刻」は「島津家が篆刻師として召し抱えようとした」という逸話が残されているほどの腕前だったようです。このほかにも「和歌」は津島神社の宮司・氷室長翁に学び、「茶の湯」も流儀は不明ながら独自の見識をもって行っていたと言われています。

そして同じ尾張藩士で陶芸に才能を発揮した、市江鳳造の娘を御嫁さんにもらったという縁で、仕事の余暇に鳳造から「陶芸」についても手ほどきを受けていたと言われています。

維新後も公用の仕事に従事したのち、広小路にあった自邸を売却し、前津の地に移って隠居生活を始めます。

号「不二山人」を美香が名乗るのは、やはり前津に移ってきてからの事でしょう。

維新後、前津で本格的に陶芸を始める

龍門焼で触れた内容とダブるのですが…。

前津に移った美香は、かつて「慶助(?)」なる陶工が築いた小規模の窯を用いて、娯楽として手造の焼き物を作ったと言われています。(「前津旧事誌」より)。この「慶助」が「加藤慶助」の事ではないか?というのは、龍門焼のページをご覧ください。

美香の場合、維新後も公用の仕事にありつけるだけの学があり、元武士でも悠々自適の隠居暮らしができる身分だったはずです。しかし、維新直後の世の中は、食うに困った武士が多かった時代でもあります。

ゆえに息子たちの将来を案じ、美香は陶芸の道で生活をできないか、模索することになります。

不二見原の焼き物・不二見焼

はじめは趣味の楽焼でスタートした陶芸でしたが、様々な技法や意匠を考え、また瀬戸から職人を雇って本格的な窯を自邸に築き、息子・亮吉と共に職業としての陶器製造販売をスタートさせます。

名所・不二見原の名前を取って、「不二見焼」と命名。当初、土は麹ヶ池(大池)の底からとれる土を使って焼き物を作ったようです。

しかし職人を多数雇ったり設備投資にお金を掛け過ぎたせいか、様々な試作を繰り返したのか、はじめは商売自体がうまくいかず、生活は困窮したと言われています。

ピンチをチャンスに

なかなかうまくいかない、陶器製造販売でしたが、明治24年(1891)に濃尾大震災が起こると、生活用品としての食器の需要が一気に高まり、これを機に商売が軌道に乗ります。(ゆえに岐阜方面にもこの不二見焼の焼き物が数多く伝来していると考えられます)

美香自身が茶人であったため、茶道具は初期の作品に多く、時代が下るにつれて食器が多くなるのは、こうした時代背景が元になっているのです。

美香は明治29年(1896)にこの世を去り、息子・亮吉は更なる事業拡大のため、工場を拡大。そして明治41年(1908)には美香の孫にあたる二郎麿が乾式成形による硬質陶器タイルの生産に成功し、不二見焼合資会社を設立。工場を移転するなど産業製陶としての事業を拡大、海外へのタイルの輸出なども手がけるようになりました。

美香が始めた陶器製造販売は、孫の代にはタイル製造へと業態を変えていきました。

趣味人・美香のDNA

多芸多趣味の美香のDNAは亮吉の弟・熊彦に受け継がれていたようです。

熊彦は兄と共に不二見焼の業務に携わる傍ら、周りの勧めから門前町(大須)の自宅の庭に窯を築いて、制作を始めました。そこで考案したのが土を縒り、紐状にしたもので籠目の作品。(商品紹介ページに詳細があります)

父が用いた号「不二山人」を受け継ぎ、「三世・不二山人」として、産業製陶としてではなく、数寄の器を作り、後世に伝わっています。

また亮吉の次男・四郎(二郎麿の弟)も陶芸を好み、三世・不二山人の作品を慕って、同じような紐を編み込んだ意匠の焼き物を作り、「四世・不二山人」を名乗っています。

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