矢場町を歩こう・その2

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矢場町の歴史を知り、かつて矢場町だった場所をうろうろ散歩してみます。

前回、矢場町の歴史をいろいろ調べてみて、仮想・江戸時代の矢場町マップまで作ってしまいました。

調べてみると楽しいものですね。

古地図と絵図をもとに、現地をウロウロしてみましょう。

名古屋総鎮守・若宮八幡社

かつては現在の名古屋城三の丸の地にあり、名古屋城築城に際してこの場所に移され、尾張徳川家の氏神として、また「名古屋を守って下さる神様=(名古屋総鎮守)」として崇められた神様の御社です。

今回は「コロナウィルスが早く終息しますように…」と、神様にお願いしてきました。

現在では若宮大通に面しており、そちら側に大きな鳥居が建てられおり、こっちが表参道のように思えますが…江戸時代は様子が違いました。

古地図を見てもらえれば、イメージしやすいと思いますが…本来の参道は西側(本町通沿い)にあったはずです。

ここで勉強部屋ではすっかりおなじみとなった「尾張名所図会」を見れば一目瞭然です。

画面左下が本来の表参道でしょうね。立派な鳥居があるのもこちら側です。

神様を祀る「本社」の場所は変わっていないでしょう。「手洗ヤ」まで恐らく現在とほぼ同じ位置じゃん…。

見開き右側のページを拡大すると…。

「拝殿」「くまの社」「天じん」など、いろいろ細かいところまで描かれています。

右端のほうに「から洲の社」と書かれていますね。これは前回、「尾張誌」にも出てきた名前です。

こちら側が東で、反対側が西。他の史料とも整合性がとれますねー。

しかもしっかりと「うら門」って書いてありますね。

何気に下の方には「黒船車のくら」とまで書かれています。これは矢場町のお隣、末広町の山車(だし)があった蔵ですね~。

お祭りのことは僕の叔父さん(御洒洛)が超詳しいので、ここでは割愛します。

尾張名所図会「若宮祭・黒船車引渡す図」

ちなみに僕がいつもお参りするときに通る、こちらの北側の入り口は尾張名所図会には描かれていません。それ以降に整備されたものでしょう。

僕は小学生の頃、集団登校の集合場所が若宮でしたので、毎日通った道です。超懐かしい。

信長が平出政秀のために作った・政秀寺

織田信長が家臣の平手政秀を弔うために小牧山(同県小牧市)の南にある小木村に創建したのが始まりとされるお寺です。

のちの「清州越し」でこの場所に移されました。古地図で見てもなかなか立派なお寺だったようです。

このお寺とお隣・白林寺「尾張名所図会」に絵図があるので、それを見てみると…。

立派な客殿が目を引きます。残念ながら、現在の建物は空襲で焼けた後に再建されたものです。

手前には大きな道がありますね。えぇー、人が小さすぎでは…?こんなに広かったの?!

これがウチの前の道とはとても思えないのですが…。

絵図では見切れていますが、右側の方まで政秀寺の敷地が広がっているようですね…。

現在の政秀寺の前の様子。

古地図によると、この辺り一帯も元は政秀寺の敷地だったところです。

これが「100m道路」と呼ばれる超巨大道路・若宮大通です。

「↑↑4車線↑↑」「↑高速道↓」「↓↓4車線↓↓」という、実は日本でも数本しかない珍しい道路でもあります。

ちなみに歩行者は「青信号1回で向こう側まで渡れないという難儀なデカさ。

スペック重視で実用を成さない、そんなチグハグ感を感じます。(実に名古屋らしい)

反対側に来てみました。100m道路を青信号1回で渡るには軽く走ります(苦笑)

ちなみにここは名鉄バス「矢場町」バス停でもあります。

ちょうどこの辺が「旧・矢場町」に当たるので、このバス停名は非常に良し! (σ´∀`)σ

ここからだと、道と「フットサルコート」を挟んで、向こう側に政秀寺の現在の建物が見えます。

昔はこれぐらいの距離感の敷地だったんだろうなあ。

さらに古い道を探す

ウチの前の道(呉服町通)を南へ歩いてきました。

ここも古い道ですが、ほかにも往時の痕跡を残す道があるのでは…。

まだまだ、ブラブラしますよー。(・∀・)

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