江戸・尾張藩邸探訪記 その2
江戸・尾張藩邸の探訪記、続きです。
市ヶ谷(防衛省)は物々しい警備なうえ、中にも入れないので、さらっと流してしまいました。
さらに当日、雨でしたしね…。
中屋敷はスルー
尾張藩邸は他にも「麹町中屋敷(千代田区)」があり、ここは現在の上智大学の敷地の一角なのですが…。
例によって、雨なので…。
あと、時間が押していたので…。残念ですがスルーでした。
今回、ひそかに目星をつけていたメインターゲットは「戸山荘」なのです。
和田戸山下屋敷跡地
という訳で、新宿区の戸山公園にやってきました。
ここは学習院女子、早稲田など大学が隣接しているので、道中は学生が沢山いましたね~。
この戸山公園の敷地と、隣接する宅地・保育園、国立国際医療研究センター、都立戸山高校、学習院女子大学、早稲田大学戸山キャンパスの一部が、かつての尾張藩邸「和田戸山下屋敷」だった場所です。
敷地面積では、前回ご紹介した、市ヶ谷の上屋敷よりも広い敷地面積です。
めっ…ちゃくちゃ広いです。東京ドーム9.5個分。
12月ですが、まだまだ紅葉が楽しめる時期でした。しっとりした雰囲気は悪くないですが…雨止んでいればなぁ…。
東京23区最高峰に挑む
なんと、この戸山公園に「東京23区でもっとも標高の高い場所」が存在するのです。
それがこの箱根山(44.6m)。
この写真だと、全然「山」感がないですね。
というのも、箱根山は厳密には「自然の山」ではなく、尾張家が戸山屋敷に庭園を造る際、池を掘った時に出た土砂を埋め立ててできた「築山」なのです。
「自然の山」として、東京23区内で最も高い山は港区にある「愛宕山(25.7m)」です。
尾張家、どんなけ土掘ったんだよ…。
自然にできた山ではないので、唐突に斜面が始まります。
そして結構、急斜面。こうしてみると、いかにも山ですね。
箱根山の紅葉を独り占め~。
この雨じゃなけりゃ、もうちょっと楽しめたのですが。
登頂成功!
結構な急斜面でしたが、ものの5分で山頂に到着。
うーん、曇天じゃなけりゃ、もうちょっと見晴らしよかっただろうに…。
ああ、僕以外、誰もいない…と思ったら、シジュウカラちゃんを発見。
あんまり名古屋の市街地じゃ見かけないヤツ。僕が鳥を撮るときって、いっつもこっち向いてくれないんだよなぁ。
お待ちかね探検タイム
登山するのが目的ではありません。探検が今回の目的。
山を下りた反対側の麓には、こんな案内板が…。
これは「寛政年間(1789-1801)」の戸山屋敷を描いた絵図ですね。
実はこの他にも、戸山屋敷を描いた絵図が複数あり、いつもお世話になっている「国会図書館デジタルコレクション」でも閲覧が可能です。
戸山屋敷は「庭」に重きが置かれ、お殿様の休息の場として、また将軍や大名をもてなす饗応の場として整備された屋敷でした。
古い絵巻を見ると、ここにも紅葉が描かれており、当時から風光明媚な山だったんだなー、と分かりますね。
で、絵図の中には様々な建物が名称と合わせて描かれており、この中に気になる表記が出てくるんですね…。
瀬戸物窯はどこにあったのか?
前回、ほんの少しだけ触れましたが「江戸の尾張藩邸でも、やきものを作っていた」ということに繋がります。
1枚目は、現地箱根山の麓に掲示されていた寛永年間頃の戸山屋敷図。
2枚目は国会デジタルコレクションから引用させてもらった、尾張大納言殿下屋敷戸山荘全圖 の拡大版です。
玉円峰(ぎょくえんぽう)というのが、江戸時代の戸山庭園で呼ばれていた、もともとの「箱根山」の名前です。箱根山という名称は、明治期以降にこの場所が陸軍学校になってから、ついた名前です。
この玉円峰から北東に位置する斜面に、どちらも「瀬戸物釜」と書かれた場所がありますね~。
これは明らかに「登り窯」を描いています。
この窯があったとされる場所を見に行って見よう!というわけです。
箱根山から見て、北東のこのあたり…。見に行って見ると…。
怪しげな微高地が…
道路を挟んで、柵の向こう側。不思議な形をしていると思いませんか?
なんかブラ〇モリみたいですねー(笑)
もうちょっと、ヒキで見たほうが分かりやすいでしょうか。
もっと分かりやすいように、赤いラインを引いてみました。
この高まりが一体何なのか、今のところわかりません。わからないですが…先の絵図の情報を鑑みると…。
ひょっとすると、ここは…?って気がしてきますよね。
何事も「現地で目にしないと、分からないことがある」ということです。
まあ、僕の思い違いの可能性もあるので、あまりはっきりとしたことは言わないでおこうと思います。
探索終了
東京に来たメインの用事があるため…あんまり深く探れませんでしたが。
やきものを通じて、いろんなことに興味が持てるのは楽しいですね。
恐らく戸山公園には、こんな理由がなけりゃわざわざ足を運んでいません。
結構いい公園ですね。バードウォッチングとか趣味にする人には楽しい公園だろうなー。
都会のど真ん中にこんな広大な緑地があったとは…。
江戸の尾張藩邸で焼かれていた、「楽々園焼」「戸山焼」については、いずれ勉強部屋で取り上げるつもりです。
またその時に、この道草ページは読み返してもらえればいいかなーと思っております。