尾張の茶の湯NEXT06:飯田布袋堂

そろそろここで一区切りします。

まだ深く調べきれていないので、やや見切り発車な感じですが…世代が近しい茶人なので、最後に取り上げておきます。

「尾張の茶の湯NEXT」シリーズは今回が最後です。

ページの写真で使える布袋堂ゆかりの画像素材が皆無でしたので…「をはりの花 月の巻」より引用させていただきました。

貞置流の武家茶人

今回ご紹介するのは、飯田俊武という尾張藩士です。布袋堂喜楽と号した武家茶人です。

通称を八三郎(文献によって「三八郎」の誤植?)といい、江戸で勤めている間に貞置流の茶を学び、天明2年春に暇を得て、江戸より帰郷。中山分左衛門という、貞置流の台子手前皆伝の宗匠に従ってさらに研鑽を積んだと伝わります。さらに他流の茶人を歴訪し、千村伯就などと親しく交わったとされます。茶事を好み、晩年は好みの陶器を作ることも楽しんでいたとされ、作品が現在にも伝わっています。

基礎データがほぼ無し

ひじょーに、資料が不足している人物です。

今のところ「一楽會誌」「をはりの花」をベースにするしか、お話することができません。

今までご紹介してきたNEXTシリーズのお茶人(町方茶道が隆盛し、千家茶道に親しんだ様々な階層の人々)とはちょっと違い、この人は尾張藩士であり、しかも藩の公式茶道である貞置流(有楽流)を修めた人です。

僕の勝手な想像ですけど…どちらかというと「茶人」としてではなく「骨董畑の人たち」の間で伝えられてきた人物のように感じています。

これまでのNEXTシリーズの尾張の茶人たちって、そこそこ情報が拾える存在でした。これは翻って、千家に多少なりとも縁がある人物ならば、過去のいろんなタイミングでその人を調べ、後世に伝える人が「比較的多かった」ことの証左ではないかと、思うのです。尾張藩士(千村伯就・杉山見心)でも、お茶の系統としては千家の流れの中に多少なりとも、かかわっていますよね。

一方、この人の場合は「貞置流」という、明治以降は超マイナーになっていく茶道流派の関係者であるため、なかなか後世に伝わりにくい存在だったのではないか…。そんな気がしてなりません。

でも「趣味で焼き物を作っている」という点で、モノ自体は残されていたため、これを研究した骨董マニアがいた。

その分野だけで、かろうじて後世にその存在が伝わった感があります。(くどいですが、僕の勝手な想像ですよ!)

というわけで、ページの画像に「をはりの花」のスケッチを使わせてもらった次第です。

刑部陶痴みたいな人がいなけりゃ、たぶんこの人は忘れされれた存在だったとような気が…。ただ、その陶痴よりも後の一楽會誌の情報の方が充実しており、さらにこの大正時代に調べられたのでしょう。か細い糸が切れないよう、ゆっくりと手繰り寄せる…飯田布袋堂ってそんな存在に思えます。

尾張藩の御茶道(御数寄屋組)も調べましたが、どうも茶坊主にそれらしき人は見当たらないしね…未だ、謎多き人物です。

「キ楽好」

そんな謎のヴェールに包まれまくった、飯田布袋堂の作品として…

刑部陶痴がまとめた、瀬戸のはな、改め、をはりの花の中に「布袋堂喜楽作 御深井釉の蓋置」が掲載されています。

文字は反転していませんが「印章」をモチーフにした形の蓋置なんでしょう。蓋置か、墨床か…。

そういえば「ハンコ不要」が何かと話題の世の中ですね…あと数100年したら、これが一目で何なのかイメージされない世の中が来ても、不思議じゃない気がします。

手書きの図版なんで、何とも言えないのですが…「御深井釉」と陶痴が書いているのが、何やら意味深な気がしてきますヨ。

釉薬はいわゆる「あの御深井釉」なんでしょうか?それとも、御深井の窯で作られたというだけで釉薬は別の種類のモノか…判断が付きません。

んー、鉄か呉須かで色分けていそうな雰囲気を感じますが…手書き図版だけでそこまで想像するのは「かなりヤバイ奴」です。あまり真に受けないように…。

布袋堂が尾張藩士ゆえに「御深井御庭で手造に参加したときのヤツ」という想像も働きますね。

でも、思いっきり「キ楽好」というデザインが施されてる点からして、やはりプライベートな楽しみの作陶という線は強く感じます。(藩の御庭焼で、一介の尾張藩士が、これ見よがしに個人を主張する…こんな蓋置を作ったら、ちょっと物議をかもすかも…?)

蝸牛や見心のように、作陶に手を貸した陶工の存在も不明です。

ただ作品そのものは精巧な作りをしており、やはり誰かしら陶工の手を借りてそうだな~、という印象は強いです。

謎に包まれた部分がこれまでの誰よりも多い人物です…。

NEXT Generation…?

最近は「お笑い第〇世代」とかいって、一括りにするのが流行ってるんですかね?僕はあんまり詳しくありませんが。

今回ご紹介したお茶人たちは、「世代」でまとめられるほど、近しい年代レンジではありません(苦笑)

が、ところどころでクロスオーバー、つながりがあったり、無かったり。

尾張周辺での茶の湯の活況ぶりが垣間見えるのではないでしょうか。

特に「茶の湯を通して、焼き物に興味を持ち、好みの器を製作する(造らせる)」というのが、この尾張周辺の茶人のトレンドになってきます。

この後の世代にも続々と茶人が出現しますが、例によって「手造茶器」があるのが特徴です。

またちょっと僕自身が勉強の機会を作るために、しばらく間は空きますが…尾張の茶人の系譜はまだまだ続きます。

(無印)→「NEXT」→「???」

んー、何がいいかなぁ。(´・∀・`)

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