「金城温古録」を読む

またしても唐突ですが…読みました。御深井焼の理解が大変深まりました…。
「尾張茶人名鑑」の編集もそこそこに…(ほったらかしで…)。
たまたま偶然というか、店の片づけをしているときに偶々目にした資料の中に「金城温古録」における、御深井焼関連の記述部分のコピーを発見して、いろいろと分かったことがあったので、まとめておきます。
金城温古録とは
詳しい事はWikiを参照ください。要するに尾張藩が公式で作らせた「名古屋城に特化した百科辞典」のようなものです。この資料は現在の『名古屋市史』のベースにもなっているほど、この尾張名古屋の地誌(特に名古屋城に関連する事象)を紐解くための、極めて重要な資料の1つです。
「なごやコレクション」では、デジタルデータが閲覧できます。活字ではないですが、比較的読みやすいはずです…。と、言っても量がメチャクチャ膨大。これ全部に目を通すのはかなり骨が折れます。活字は「名古屋叢書」にあるようなので、市内にお住まいの方でしたら、近くの図書館へ行けば誰でも閲覧できるかと思います。
御深井焼に関連する資料としても一級品
過去に御深井焼に関する勉強部屋を数回にわたって特集しましたが…当時はまだこの資料をキチンと読んでいませんでした。
名古屋城の御庭焼について勉強してるのに、この重要な資料に目を通していなかったことを今になって恥ずかしく思います…。
まあ、遠回りになったとしても…自分の足で歩き、自分で目にして情報を得ていくことが、何より大切な勉強なのです。
御深井御庭編
名古屋城に関する百科事典なのだから、やはりあるのですよ、御庭の項目も…。
「瀬戸山」「陶窯」「瀬戸御茶屋」「瀬戸の草屋」「祖母懐」
……例によって、ここで文字起こしをするのは面倒なので、気になる方は各自で「なごやコレクション」のデータを閲覧してください。2077ページあたりから始まります。
この資料の著者である奥村得義(かつよし)は、文政年間(1818年~1830年)に藩命を受けて、名古屋城のあらゆることを調査、また関連する古記録を精査し、天保13年(1842年)から執筆を開始しています。
ということは、10代藩主・斉朝の治世(文政10年に隠居)から始まり、11代斉温、12代斉荘のころの名古屋城に関する情報がまとまっている、という事。万延元年(1860年)に前編に相当する4編31巻を完成させていることから、この「御深井御庭編」は、その段階ではまだ草稿だったと思われます。
御深井焼の関係者で言えば、平沢九朗(1772-1840)、正木惣三郎(1800-1850)、加藤春岱【仁兵衛】(1802-1877)、加藤春一【太兵衛】(生年不詳-1844)らが活躍していた時期とクロスします。
「瀬戸の草屋」の中では、「春岱」「春一」は当時の御竃屋の名手として、その名前が挙げられております。
また「瀬戸山」の項目では…
「既に元和年、御植させの杉、一同に生立る所なれば、御城築の始より在来れるか、又は陶窯の為に成れる所か、其始、未だ詳ならず。」
とあることに注目です。
当時、二ノ丸の御庭にも大量の杉の木が植えられており、元和年間に苗が植えられたものだと伝わっており、これらの杉と同年代の古い杉の木が、この瀬戸山にも生い茂っていたようです。ゆえにこの瀬戸山自体も、築城当所からもともとこの場所にあったのか、あるいは築城当初から「瀬戸物を作るための窯」として設けられたのか、その始まりは良く分かっていない、と記さているのですね。
そもそも、この辺り一帯は「熱田台地の縁の外」であり、低湿地帯です。名古屋城の濠や御蓮池を築くにあたって開削された土を盛ったのが瀬戸山だとも言われているのは、この金城温古録に言及のある古い杉の情報をヒントにしているのではないでしょうか(元和の頃の杉と同世代の杉が植わっている=瀬戸山自体が相当に古い構造物だろうという推定)。
そして、御深井焼の開始時期が「初代藩主・義直の頃」と想定される一つのヒントにもなっている気がします。でもまあ、杉って相当に成長が早い植物らしく、光友の頃でも誤差の範囲内かな…って気もしますが…。
「祖母懐の印」の記述
個人的には大発見というか、近年のモヤモヤした気分が一気に晴れた、とても重要な記述も見つけまして…。
「祖母懐」の項目の一番最後に…
「祖母懐の御印もあり。書は丹羽嘉六」
丹羽嘉六とは、尾張藩右筆で書家の丹羽盤桓子のこと。

「盤桓子が書体を起した祖母懐印」の話を聞いたのですが…その話の根拠がまるでさっぱり分からん。(このネタ知ってる人がもし読んだら、ぜひ教えてほしいです!)
と話していたことが、まさにここに書いてありました。
情報の出所が判然として(しかも第一級の資料の中にあり)、一気に霧が晴れる気持ちでした。
尾張藩公式史料の中にこの記述があれば、間違いありません。「祖母懐の印の書は丹羽盤桓子」というのを、大手を振って喧伝できます。
ただし、「祖母懐の印」って数種類あるんですけどね。全部が全部、盤桓子ではないと思いますし、「どの印が盤桓子の書体か」まではハッキリとは分かりません。
個人的に「これが多分それ(盤桓子印)」というイメージは持っていますけどね。

