尾張茶人名鑑:今泉子日庵

矢継ぎ早にアップします。
随時、特集ページ「尾張茶人名鑑」に追加していく予定です。過去の茶人たちの紹介ページも作りなそうかな…。
とりあえず、今回もお急ぎでパパっとやっちゃいます。
江戸後期の尾張藩士
取り上げるのは、江戸後期の尾張藩士・今泉子日庵(いまいずみ ねのひあん)という茶人です。
名前は「延春(のぶはる)」、通称を「源内(げんない)」といいます。
尾張藩士の家に生まれ、文化6年に家督を相続。御使番、御手筒頭、御徒頭、御広敷御用人などを歴任し、御書院番頭、御書物奉行に進む。
茶の湯は誰に師事したかは不明ですが、有楽流の茶人として知られていたようです。
まあ尾張藩士ですから…御数寄屋たちとの交友もあるのでしょう。
安政六年(1856)に七十六歳で没しておりますので、なかなかの長寿ですね。
隠居後、茶の湯を大いに楽しんでいたことは、各種のゆかりの道具が現代に伝わっていることから明らかです。
大黒天を信奉、ゆえに「子日庵」
一樂會誌三の巻末資料集によると…
「常に大黒天を信じ、これに絡める茶器を蒐め子日庵と号す」
とあり、どうやら大黒天を信奉していたようです。
「子日(ねのひ)」とは、読んで字のごとく「子=ねずみ」の日。日本では古来より、六十干支を日付に当てはめた「日干支(ひのえと)」という文化が根付いており、1日1日をこの60種類(十干×十二支)の干支で分類していたうち、「子」に相当する日が「子日」ということです。
大黒天は五穀豊穣の神として祀られ、片方の手には小槌を持ち、もう片方で袋を担ぎ、足元には米俵があるのが一般的ですよね。大黒天とは、元はインドから中国を経て渡ってきたヒンドゥー教の神様だったのが、日本の「大国主命」と習合して出来上がった神様です。
その神様の「使い」とされる動物がネズミ。大国主命がネズミに救われた話が元ネタとなっているとか、あるいは大黒の「黒」は陰陽五行説では「北」を意味し、北の方角は十二支で「子」であることなどから、ネズミが大黒天の使いとされます。そこから転じて、「子日は大黒様の縁日」とされ、特に「甲子の日(きのねのひ)」には最も大黒様のご利益が得られるんだとか…。
自らの庵号に「子日」と冠するぐらいですから、恐らく毎月2、3日めぐって来る「子日」には大黒天をお参りしていたのかもしれません…。
そして子日庵が「古稀」を迎えた年、それを記念して俵形の茶碗を作り、瀬戸で焼かせています。
やはり「大黒天」といえば、五穀豊穣の象徴・俵ですね。

