「写し」の重要性

かなり以前の勉強部屋で「写す」ことの意味をご紹介しましたが、この「写し」にまつわる具体的なお話をご紹介します。

当サイトの人気コンテンツ?

あまりアクセスは多くない、当ウェブサイトも、一応「どのページのアクセスが多いのかな?」ということは調べておりまして…。

当店が取り扱う商品に関係した、勉強部屋シリーズの「御深井焼」の記事へのアクセスが特に多いのは、まあ…予想通りといいますか…。

この御深井シリーズを始める以前、ブッチギリでアクセスが多かったのが、コレ…。

「贋作と写し」は加藤春岱の話をするうえで、避けては通れない予習の意味合いで投稿したページなんですけど…。なぜかこのページ、前田壽仙堂ウェブサイト全体を通しても、一時は相当数のアクセス流入を誇る、超・人気コンテンツでした…(笑)

なーぜーだぁ…(´Д`;)

そりゃぁ、素人さんからしたら「ホンモノ・ニセモノ」の話は食いつきがいいのだろうけど…。

”バズる”とまではいきませんが、なんか投稿後…2年間ぐらい…ずーっと、断続的にアクセスされっぱなしなんです。

本当に最近まで、サッパリ理由がわからず、すんげぇモヤモヤしていました。

が、ようやっとわかりましたよ…!

「刀剣乱舞」

どうやら、このゲームに登場するキャラクターが噛んでいたようです。日本刀にも「写し」はありますからねぇ。僕は刀剣類はあんまり詳しくないのですが…どうもこのゲームのファンの方たちが『「写し」って何?』と検索して、うちのページを読んでくださったのですねぇ…。

はぁぁ、世の中の需要とはかくもわかりにくき事かな…。

多分、この投稿ページも「刀剣乱舞」の文字を入れたんで、Google先生は目ざとくインデックスしていくのでしょう…。

来たれ、刀剣女子!そして尾張国焼を勉強していきなさい…。

まあ、ゲームのことはようわからんですが…こんなブログでも参考になれば幸いです。

いつかする予定だった話を思い出す…

で、ウェブサイトのデザイン更新でいろいろRewriteしながら、この記事も久々に目を通しまして…。

「これについては、また別の記事でご紹介したいと思います」

とか書いてある行を見つけ…すっかり忘れてたことに気づきました。

はい、ここから本題。

「写し」が制作されることによる良い面。

これを端的に表現した、ある美術品があります。

長次郎 赤楽茶碗 銘「木守」

茶道流派ひとつ、武者小路千家に代々伝わる「木守」という茶碗がありました。

もとは千利休が長次郎にいくつか茶碗を作らせたものの一つ。それを弟子たちに分け与え、利休の手元に1つだけ残った茶碗に「木守」と銘をつけ、利休が愛蔵したものだといわれています。後に利休の子孫である武者小路千家に伝来し、代々家宝として大切にされてきました。

そして、六代(3世)の真伯宗守の時、茶頭(茶の湯の師匠・指南役)として仕えていた讃岐高松藩の御殿様に、この茶碗を献上します。

恐らく、当時火災が度々起こっていた京都では危険、という保管保全の安全性を考慮した上での判断だと思われます。

献上する前から、そして献上して以降も、武者小路千家の歴代当主(家元)や、楽吉左衛門家の歴代当主によって、この木守の「写し」が制作されています。それだけ、流儀にとって大事な茶碗だった、ということの証左ですね。

震災による被害

時は流れて、大正時代。

献上された後はずっと高松・松平家の所有となっていた木守の「本歌」ですが、この当時は東京にあった松平家の屋敷に移されていました。大正12年(1923)9月1日、関東大震災が発生。この震災によって、本歌の木守は失われてしまいました。

震災後、瓦礫の中からこの木守の破片を見つけ出し、当時の楽家当主である惺入により、この木守の破片を埋め込んだ復元を試みることになりました。

一度割れてしまい、しかもその大半を失った茶碗の復元…これを可能にしたのが、それまでに作られてきた「写し」の存在です。

もうすでに世の中から失われてしまった物の姿を「後世に伝える」という役割が、これほど発揮された例は珍しいでしょう。

家元だけでなく、楽家歴代の写しも含め、数々の写しの作品を詳細に観察し、得られた情報を元に復元された茶碗。

現在もこの復元された木守は、高松松平家の個人蔵であり、なかなかお目にかかれません。僕は東京修行中、根津美術館で行われた、特別展「名画を切り、名器を継ぐ」で拝見することができました。ラッキーでしたねー。

写しの存在が復元を可能にした

本歌・木守の破片は、碗の一部分だけ。

高台回りはゴッソリなくなってしまっているので、この部分を知る手がかりは、「写し」から得られた情報のみ。

「バックアップ」というのはかなり語弊があるのですが…こうした「写し」とは、「〇〇写し」を名乗っている以上…「うまい」「下手」というクオリティの違いこそあれ、その本歌である「〇〇」の要素をどこかしら「引く継いで」いるはずなのです。「写し」の数が多く、かつバリエーションが多彩であれば、その「引き継げる」部分を補完しあえる可能性が高まるでしょう。

茶碗であれば、形状は言うに及ばず…重さ…手取り…重心…器の厚み…などなど。「写し」から知りえる情報は数知れず。

特徴的な高台の造りなど、もし「写し」が一切造られていなければ、その姿は木版刷りの印刷(罹災前に取材をした、大正名器鑑に掲載されているもの)だけでしか、知ることができず、復元などは不可能。復元を試みることさえ考えなかったでしょうね。

まあ写しを作るとき、さすがにここまでの事態を想定しているわけではないですよ?

でも「すぐれた作品の良さを後世に広く伝える」という「写しモノが果たす役割」は非常に大事なことである、と教えてくれるエピソードですよね。

決して価値は「本歌」には及ばないが、「写し」の価値もまた確かな「ホンモノ」なのです。

「ホンモノ」を偽る「贋物」とはワケが違います。

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