贋作と写し
春岱の話をする前に…。
予備知識としてこの手のお話は解説しておかないと、いろいろ誤解を招くといいますか…。
前置きにしてはちょっと長すぎる内容でしたので、今回は補習・予習的な内容の勉強部屋です。
「贋作」
やはり美術品に携わる仕事柄、こういった話をしないわけにもいきません…。
まず「贋作」という言葉の定義です。
「他人を偽る意図をもって、騙すつもりで、レプリカ・コピー品・模倣品を作成する行為、またはその作品」を贋作と呼びます。
そして贋作とはまた別の言葉が存在します。
「写し」という言葉です。
「写し」
端的に定義すると、「優れた作品、有名な美術品を手本にし、つくられた作品」のことです。
「え、それってコピーやん?盗作?贋作?」
業界入りたてで、知識の無いの頃の私も戸惑いました…。違いますよ!
写しと贋作は「手本を模倣して作られた」という点では同様のモノですが、その行為の目的・精神性(信念・信条・感覚)がまるっきり違っています。
作り手が自らの技術の研鑽のため、もしくはその作品に対する敬意を表すため、また優れた芸術品の良さを広く(世間一般・後世にも)伝える手段として、手本とする作品を模倣したものを、「写し」と呼ぶのです。
作品の根幹部分に作り手の敬意・信条がこもっている分、ただ「まねる」とは言わず、「写す」と言う…日本らしい、奥ゆかしい表現の言葉ですね。「オマージュ」という言葉もこれに近い性質の言葉かな。
「写し」という言葉の指し示す範囲には、かなり幅があります。元となった作品の忠実な再現を試みる場合もあれば、手本の優れた要素を抽出し、作り手によってそれを再構成されたものも、写しの一種です。
忠実な再現を試みた作品の場合、「人を騙す目的で作ったわけではない」という、意思表示が何らかの形(作り手個人を特定できる印や落款、彫り銘や共箱など)で残っているものです。それがなければ、ただ精巧なコピーを作っただけで、作品に対する敬意はなく、「騙そうというスケベ心がある贋作」と見なされるでしょう。痕跡がなくとも、正当な評価がされている(様々な根拠を元に、作者や作品の背景がきちんと判明している)場合、贋作とまでは言われないのですが…。
また一見して元となった作品と「写し」との違いが分かるようなものは、印や銘を省いていることもあります。優れた要素だけを抽出し、別のものに転用する場合などは、これにあたります。「オマージュ」と言った方が、こちらの方は分かりやすいかもしれません。
そして「写し」もまた美術品・作品の一つとして流通しています。決してそれは贋作としてではなく、「写し」としての評価を得た上での話です。
「パクリ・盗作」
カジュアルな言い方で「パクリ」、固い表現だと「盗作」という言葉もあります。
「写し」と「盗作」、これもまた似て非なる言葉です。
何をもって「オリジナル」と定義し、どの範囲までが「盗作」なのか…?
美術品に限らず、あらゆる芸能の分野で、線引きが難しい話ではあります。
近現代の芸術家によってつくられた作品であれば、それを模作して公に発表することは「盗作」に当たるでしょう。模倣の程度にもよるでしょうが、作家が権利を主張し、盗作であることが認められれば、賠償請求も可能です。盗作とは「盗まれた側」が告発することで成立するのが、ポイントなのです。
つまり、何百年も昔の古い美術品に関して言えば、このオリジナルを主張できる人間はいないわけで、よって「盗作には当たらない、写し(オマージュ)である」という見方ができます。模倣するのはOKだとしても、その「何百年も昔の古い美術品」を忠実に模作し、「写し」である証明もない作品は、「何百年も昔の古い美術品」と偽った「贋作」と言えますけどね。
「本歌」
そして「写し」に対し、その手本・原本となった作品・美術品のことを「本歌」と呼びます。
もとは「歌学における和歌の作成技法」のことで、優れた歌の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行うことを「本歌取り」と呼びました。
その元となった歌のことを「本歌」と呼んだことから、転じて、美術品・作品における模倣の元となった作品に対しても「本歌」という言葉が使われるようになったのです。
誤解を招かぬように
まず明確にしておきたいことなのですが、模作・模倣という行為は決して悪いことでは有りません。(「盗作」は訴えられますけどね)
自然と人が「いいな」と思い、それを真似てみようとする行為の本質は、元となる作品や作者に対する憧れや敬意といった、尊敬の念がベースにあるはずです。このパターンの方が、圧倒的に多いのです。
また、「写し」が制作されることによる良い面も、大いにあります。(これについては、また別の記事でご紹介したいと思います)
業界の人間が、こんなことを公に発言していかがなものか、という懸念はありますが…中には「本物と見紛うものをつくって、騙して売って儲けよう」という悪い人がいるのも事実です。「写し」として制作された作品の中には、時代を経て、いつからか作者を偽って人の手を渡ってきたがゆえに「贋作」となってしまうことも、「ない」とは言い切れない状況です…。かといって、写し物のすべてが「偽者である」ということにもなりません。
とにかく、「写し」 ≠ 「贋作」 ということは、しっかり説明しておかねば、勘違いをされても困るなーと思ったので、今回の記事を書きました。
厄介な業界です…
「オリジナル(本歌)」、「写し」、「贋作」…世の中に美術品があふれ、玉石混合のわかりにくい状況が生まれてしまい、その結果として人々から蔑まれ、警戒され、興味関心を持ってもらえない…だとしたら、本当に悲しいことだなーと思います。
一方で、「探し出す」ということに面白さ・価値を見出す人がでてくるのも、副次的な産物としてあるわけで…。そんな状況だからこそ、古美術商というエキスパートが生まれ、商いとして成立した面も見過ごせません。
エキスパート…ねー。無暗にハードル高めて、自らの首絞めてるような気がしてきました。(汗
まあ、細かいこと気にせず、素直に自分で見た感性を信じて、「キレイだな」「カッコイイな」と、楽しめばいいんですよ!
…気軽に楽しんでいただくためにも、僕は日々、勉強せねば…。