春岱展の楽しみ方

春の激推し展覧会・春岱展。楽しみ方はいろいろあるでしょうが、取っ掛かりをいくつかご紹介します。

先日、瀬戸市美術館に行ってまいりました。

名鉄・瀬戸線で約40分(栄町→尾張瀬戸)。尾張瀬戸からちょっと(15分ほど)歩きます。

名古屋の人は車で行くパターンが多いでしょうか。栄からだと、電車でも車でも、かかる時間はそんなに変わりません。

観るべき作品

今回の展覧会は春岱作品の「技法」で分類されており、「織部」「志野」「灰釉(御深井)」「黄瀬戸」「呉須絵」「三島」といった春岱が操る、やきものの技法の幅広さを感じられると思います。

「古いものと春岱との違いは何なのか?」

一緒に見に行った方からの質問でした。なかなかその違いがよく解らない、特に織部は古い時代のモノとの違いが分からない、と。

今回の展示では「桃山時代の古陶」が比較で並べられているわけではありません。一見すると古いもののように見えてしまい、驚いた、というのがその方のファーストインプレッションだったようです。

身も蓋も無い話ですが、「ハンコがあるか・ないか」がまず一番の違いです。古い時代のモノに、このようなハンコが捺されいるものは無いわけで…その点でまず大きく分けられます。(しかし「ハンコがあるから春岱作」とも言い切れませんからね?)

今回の展示品も殆どが春岱の「在印・在銘」の作品です。キャプションの横に印影・彫銘などの写真が添えられているので、作品と合わせて「印」も見てみましょう。その中に一つ、特異な作品が展示されています。「春岱」の印が削られた、織部手鉢です。

これは後世に「春岱の印の内側の文字のみ」が削られてしまった作品です。

なぜこんなことを…?それはこの作品の「出来栄え」に原因があります。極めて出来が良く、さも「桃山時代」と錯覚させるほどの雰囲気・品格をもっているのです。

冷静に考えたら、こんな大きさの織部手鉢は桃山時代には作られてないし、絵付けのタッチや、ボディの造り、彫りのデザインなどの細部を見れば、印がなくとも春岱作と分かるものなのですが…。明治~昭和の時代に、これをかつて持っていた人は「印を削っちゃえば、『桃山時代の織部手鉢』として高く売れるんじゃないか…?」という、邪な気持ちを起してしまったのでしょう。

それほどまでに、出来の良い春岱作品は「古作と錯覚させるほど、極めて冴えている」のです。

印が削られてしまっていますが、この織部手鉢をよーく見て覚えておくことをオススメします。

割と序盤に展示してあり、この先の展示にも、「同様の作風」が感じられる物がいくつも展示されているのです。これは織部という作風に限った話ではなく、あらゆる春岱の作品に通じる、言外の「春岱らしさの断片」がこの織部手鉢のあちこちに残っていると思います。(ゆえに印が削られちゃっても、春岱作だと分かりやすい)

「この鉄絵の描き方・雰囲気が一緒だな」「彫の入れ方、デザインが似ている」「こういう白化粧の焼き上がりの感じが一緒だな」みたいに、部分的な共通点を探しながら、他の作品も見てみましょう。

「印が大事」といいながら、印の形にとらわれ過ぎてもいけないのです。

ハンコがない春岱作…?

「ハンコがあるかないか」で古いものとを見分けられる、と最初にいいましたが…。

実は「ハンコがない春岱作」も存在します。今回の展示にも数点、本体に「印や彫銘がない作品」が展示されています。

今回、図録の解説文で「春岱の号をいつから使用しているのかは不明である」と、謎を残した書き方がされています。

通説では「嘉永3年(1850)に徳川慶勝から『春岱』の号を賜った」とされており、これをそのまま素直に解釈すれば「春岱」印のある作品はすべて晩年の作品ということになります。一方で「天保二年(1831)」の年号が春岱彫銘と併記された作品が、過去の展覧会の記録に残っており、もっと早い段階から春岱の号を使っていた可能性があるというのです。

僕はこの天保2年の彫銘の作品を見た事はありませんが、何となくもう少し前(嘉永3年(1850)よりも前)から「春岱」の号を使っているだろうな~、という気がしています。

まあスタートの時期は不明だとしても、「春岱を名乗る以降」にだけ、作品を制作していたわけではありませんよね?

そりゃ「春岱を名乗る前の作品もあった」と考えるのが自然です。

普通に考えて「名乗る前の作品」に「春岱の印が捺されること」は、あり得ないですよね?

春岱を名乗って以降でも、尾張藩の御用として、あるいは特別なお仕事で、「春岱」の印を捺すことが憚られるシーンはあったかもしれません。そういった場合でも「無印・無銘」となった作品はあると考えられます。

さらにもっと俗っぽい考えだと…「あっ!いっけね、ハンコ忘れてきたわー」ということも…???(茶碗サイズぐらいなら彫銘で代用できたかもしれませんが、香合など小さい作品ではどうだったか…)

理由は様々ですが、春岱が作っても「印や彫銘がない作品」は現実にある…

後に春岱の名前を賜るほど、当時から高い名声を得た春岱の「無銘作品」であれば「印や彫銘に相当する、作った人の証明が欲しくなる」と思うのが、人の性ですよね(裏を返せば、印や彫銘があれば、それがそのまま証明になる)。そういう訳で「春岱の無銘作品」には、「春岱の箱書」が伴うもの、と考えます。(今回の作品の中には、本体に印があり、かつ共箱という作品もありますけどね…)

そこで「無印・無銘」の春岱作品もじっくり見てみましょう。作品の中に「春岱らしさ」を見出せるのか…。

先ほど紹介した、織部手鉢の要素がヒントとなる作品も、中にはあります。

僕はこの無銘の作品を見て、「印のある作品と比較して、少し背筋が伸びてる」ような緊張感を感じます。藩の御用なのか、特別な人物からの特注なのか、春岱の作品全体と比較しても「気合が入ってる」感じですかね。すべてがそうだとも言い切れませんが。

皆さんはどう感じますかね?

さらに僕はこの「無銘春岱」の割合の少なさから、いろいろと想像がかき立てられちゃいます。まあこの辺の話は、特に確証も無い妄想に近い話であり、ウチのお店に来てくれた方とのお話に取っておきますので、気になる方はお遊びにいらして下さい(笑)

古文書も面白い

2階展示室には春岱の作品展示はありませんが、古文書類がまとめられた部屋があります。

これがまたマニアックで、美術鑑賞とはまた別の面白さがある部屋ですので、こちらも覗いてみましょう。

どこかで見た事のある茶碗の図…。

加藤唐三郎家文書の中には、尾張藩からの注文の指示書ともいえるものが残されおります。春岱は「仁兵衛家」であり、唐三郎家とは別の家ですが、同じ尾張藩に仕える「御竃屋」であるため、同様の指示が仁兵衛家にも伝えられていただろうと推測されます。

ここを見てから、再び1回の展示を見直しても面白いでしょう。

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