お茶を学ぶということ

「ブログ、見てます」というお声がけを頂けると、恥ずかしいですが…うれしいです。ありがとうございます。

と、同時に心苦しく思ってしまいます。やー…すっかり更新が滞っておりますねぇ…。

商品紹介に至っちゃ1年以上ほったらかしに…これは…イカンですね…。

まあ理由はいくつもあるのですが。主に「お茶」が原因です。

11月になり、炉開きとなると…お茶会ラッシュ、お手伝いラッシュなのであります。

大したネタではないですが、何か思いつくことをグチグチと書いておきます…。

まあまあレアキャラ?

僕はまだまだ30代の若造なのですが…どうも稽古の継続年数でいうとそこそこ経験を積んでいる領域の人間(10年以上)らしく…。

んー、自分じゃ全然そんな気がしてなかったのですが…。

よくよく振り返ると20代のころから茶の湯を継続してる人って、なかなかに稀ですかね…?

それでも僕は先生でもないですし、人に教える立場じゃないのですが…。

いろいろと、お茶をやっている人、お茶をやっていない人から、様々な質問をぶつけられがちです。(先日も「アナタ、生まれたころからお茶を習ってるの?」なんて言われちゃいましたよ、ンなわけねーッス!)

仕事柄、というか修行先が茶道具を扱う店でしたので、そういうご縁があってこの世界に足を踏み入れているので、普通の世間一般のパターンとはかなり事情が違うというか、特殊なパターンですよね。

良い先生、良い先輩とのご縁もあって、お茶を嫌いにならずに、ここまで稽古を続けてこられているのは、何よりありがたいことです。

修行から帰ってきて、いわゆる本格的な茶事からは少し遠ざかった感じですけれど、それでもやはり大寄せの茶会ではよくお手伝いを頼まれます。

これも自分のことなので全然気にしてなかったのですが…僕の世代で業者じゃない人で、お茶会のお手伝いをお願いできる人って殆どいないですねぇ…。

そりゃあ、茶の湯を学ぶ時間が無いもの、普通はね…。

何のための会記なのか

はい、ここからは…SSGT!

スーパー・しょーもない・愚痴・タイム!(くだらねぇと思ったら、読み飛ばしてもらって結構です)

お客

「会記を撮らせていただいても、よろしいですか?」

最近、茶会の手伝いをしていてうんざりするほど、聞かされる言葉です。(笑)

本格的な茶事ならまずありえない話ですが、大寄せの茶会だとどういう訳か、この「会記を写真に撮る」ということが平気でまかり通ります。

光悦会とか、大師会とか、非常に高額な会費の大寄せの茶会だと、参加の記念として各茶席の道具組を羅列した「会記の冊子」が配られることがあります。この手の大寄せの茶会では、茶席が3席、4席と多数あるため、お客さんはすべての席の道具の事を覚えるのは大変です。そうした事情に対する配慮、主催者側からの心配りとして、あらかじめ用意しているものです。

でもね、こうした会記が用意される茶会は「かなり稀」です。余程の会費を取っているお茶会でないと、お客さん一人一人に会記を刷って用意するのは、費用の面で無理があります。

なので普通は「お客さんに配る会記」というのはありません。

ですが「会記が何もないのも寂しいので、せめて1枚は会記を書いておくので、その場で読んでくださいね」と、茶会の寄付等に1枚用意されていることはあります。これを「撮らせてほしい」というお客さんが、最近は本当に多いんですよね…。

会記という形で道具の羅列がしてあることで、道具組の理解の助けになるのは、確かです。これも一つの主催者サイドの親切心の一つではありますが…「どうぞこちらの会記をカメラで撮ってください」という意味で、置いているものではありません。

そもそも「必ず会記をつくらなければならない」というわけでもないのでね…。茶会の主催者側・席主は道具組を考えるプロセスの中で、「(考えを整理したり、覚えとして)自分のために会記を書く」ということはあり、そのついでに用意することが殆どでしょう。

会記って、本来は「(亭主も・客も)自分のために自分で書くもの」なのです。

だからお客も「自分で(お客に呼ばれた席の道具組を)思い出して書く」のが本来の会記の在り方。

僕は仕事柄、席のお手伝いばかりで、あまりお客でお茶に呼ばれることは経験がありありませんが…それでもお客で呼ばれた時は、必ず家に帰ってから「道具組はどうだったかな?」というのを思い出して、自分で会記を作ります。

別に紙に筆で書くわけじゃありません。パソコンで文字を起すだけですが、これも一種の会記です。何なら一部の道具を忘れてしまって、部分的に歯抜けになっている会記さえあります。でも別にこの会記を誰かに見せるわけでもないし、歯抜けでもいいのです。これが何よりの『学び』ですから。

写真を撮るのは、いけない事なのか

…と、いう『会記とはナンゾや?』という話を、寄付で一人一人にクドクド説教するほど、僕も野暮じゃないので…。

マエケン

「うーん、しょうがないッスねー。会記だけッスよー^^;」

と、しぶしぶ許可することは多々あります…。

まー簡単な話、「席主(主催者)さえ、OKといえば、お客は写真を撮ってもOK」なんですよ。

しかし「道具を撮らせてください」というお客さんは、殆どいません(ごく稀にいますが)。

席中で道具の写真を撮るのはマナー違反というのは、さすがに弁えている方が多いです。

でも道具はダメで、会記ならOKなの?その違いは…?そのワケは…?

…僕にはこの差がよく解りません。だから本当は道具がダメなら会記も撮影NGだろ、という思いです。

最近は撮った会記をインスタ等、オープンな場所に平気でアップする人がいるという話も聞くようになって、嫌な気持ちになります。

「いったい、何しに来てるんだろうな?」って。

他人の道具、他人の席の道具組を写真に収め、ネットにアップする、その理由は何なのか…?自己顕示欲を満たすため…?それ以外に理由がありますかね?

席主として、記念に写真を撮ったり、それを自身のSNSにアップするなら何にも問題ありませんよ。これを客サイドがやるのは、いかんでしょう。

最近は本当に「言われないと分からない」という人が増えてきたので、『SNSには絶対上げるな』という釘だけはしっかり打つようにしています…。茶席は「公共の場」ではありませんからね?極めてプライベートな空間だということを、分かっていただきたいです。

頭で忘れてもいいから、心には残そう

お客

いやあ、歳のせいか忘れっぽくてさ。撮っておくと後から思い出せるじゃない?

道具を撮るわけじゃないし、SNSにも絶対上げないから、会記だけ撮らせてよ。

このような言い訳を、よーく聞きます。僕はこの手の言い訳を聞くたびにゾッとするのですが…。

冷静にこの言い訳を読み解いてみましょう…。

「すぐに忘れちゃうぐらい、アンタの席は大したことない茶席だね」

って、言っているようなモノでしょ、コレ。(相当、嫌味な解釈ですけど)

このブログをご覧になっている方は、くれぐれもこのような言い訳は、なさらないでくださいね。^^

「写真に撮った」ということで安心して、より忘れやすくなっているだけですから…。

っていうか、別に忘れたって、いいんですよ…。

恥ずかしい話、僕もよく忘れます。すべてを覚えて帰れる人なんてそんなにいません。

でも1つや2つ、特別に印象に残った道具があるでしょう?それを思い出してくれるだけでも、いいんです。

これはね…別に会記を写真に撮るなって話じゃなくて、茶席に客として入るときの心構えの話なんです。

他人が作った会記を、当てにしないでほしい。

自分の眼で見て、自分で感じたことを、もっと大事にしてほしい。

せめて一つだけでもいいから、心にこれを残したい、と思える「何か」を自分で見つけてほしい。

別に、意地悪したいわけじゃないんですよね…。

この姿勢を現代の茶人に求めるのは、酷な話なんだろうか…?そんなこと無いと、思うんだけどなぁ…。

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