名席拝見
先日、あるお茶会にお呼ばれしてきました。
大和郡山・慈光院
石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)の創建で、大徳寺185世・玉舟和尚を開山に迎え建立されたお寺です。寛文3年(1663年)の創建以来、そのままの建物・茶室が残るという、大変珍しいお寺。(昔は火事が多いため、古い茶室が移築などせずそのまま残るというのは希少な例です)
今回はじめて、こちらの慈光院で毎年行われる「観月茶会」に参会させていただきました。
「昼の茶席もすばらしいから、見ておくといいぞ」
と、父の勧めで、茶会は夜からなのですが、お昼からお邪魔させていただくことに。
参道を進み、摂津茨木城から移築された茅葺の立派な楼門・「茨木門」をくぐると、大きな書院がお出ましに。こちらの書院も茅葺屋根で、なんだか農村風の優しい印象。右手には巨大なツツジの刈り込みがあり、シーズンになるとスゴイ景色になるんでしょうねー。
この書院の広間に進むと、圧巻の景色。南・東側の戸がフルオープンになって、遠くの山々までを「借景」として利用した広大な庭園が広がります。この日は本当に天気がよく、キレイなお庭に感激しました。初めての人は「うぉ・・・う」と、変な声を出してしまうこと請け合いですよー。
本堂(こちらは後の時代に立てられた建物)には釈迦如来座像の両脇に、創建の石州公の像、開山の玉舟和尚の像が並んでおり、また天井には「鳴き龍」と呼ばれる特別な仕掛けの天井が・・・お堂の中央に立ち、無心で手を打つと天井の龍が鳴くそうです。
特別にお許しを得て、中に入って「鳴かせて」いただきました。人生初体験にちょっと緊張……。人によってあんまり鳴かない場合もあるそうですが、僕がやったときは思いっきりいい声で鳴いてくれて、前住職からは「あんた100まで長生きするわ~」といわれました(笑)
まあ、かれこれ20年近くなるドラゴンズファンですし、ある意味、龍に対する信仰の篤さ(熱さ)といったら、その辺の人とはちょーっと違いますからね~。(^^)
これに慢心せず今後も精進いたします。(´-人-`)
陽と陰の茶室
龍に鳴いてもらった後は、書院の方へ戻って2つの茶席を見学。茶席の勉強はまだまだ、というか殆どできてないので、じっくり見学させていただきました。
一つは「亭主床」と呼ばれる独特の構造をした二畳台目の茶席・高林庵。点前をする台目畳が床の前にある、という変わったスタイルです。
「床のまん前で点前かよー」と、ちょっと違和感ありますよね。でも実際茶事で使うことを想像してみると、いろいろ考えられた茶席のようにも思えてきます。(席入りしてから拝見するとき床→点前座ってすぐ移れて楽やん、とか)
この席のもう一つの特徴が、東側の躙り口上部、幅いっぱいに設けられた大きな窓です。昼間は外からの日差しをたくさん取り入れ、点前座・床までも光が届く、非常に明るい茶室となっております。二畳台目の狭い茶室も、ここまで明るいと心持ち広く感じるような。
もう一つは「閑」の丸い扁額がかかった閑茶室。
書院の建物の北側に位置し、本堂と書院で挟まれた中庭に面しています。広さは三畳、点前座は逆勝手、躙り口や窓はなく、茶室の開口部は貴人口のみです。高林庵の茶席とは対照的に、非常に暗い茶室の造りですね。前住職のお話では、「2つの茶席で、陰と陽、対になっている」とのこと。
本堂へ続く渡り廊下から茶席全景を見ると、まさに「陰の茶室」というのがよくわかります。明るく開けた空間から、この暗い茶席に入るとすごく狭く感じます。先ほどの高林庵の二畳台目より、わずかに広いはずなのですが、こちらのほうが狭く感じる不思議。まさに別世界、異空間といった感じの茶室。庭と茶席でもある意味、陰と陽の対比になってる感じもしますねー。庭の緑が眩しいッス。
夜の茶会
茶会は夜行われるため、それまで時間つぶしに「金魚の町・大和郡山」を満喫し、薄暮の空にお月様が現れたら、いよいよお茶会。
丁稚のころから、お手伝いで様々な大寄せの茶会は経験してきましたが、「夜の大寄せ」というのは初。(仕事柄お手伝いばっかりで、お客でお茶会に行くこと自体、あまり経験ないんですが)
この日は中秋の名月。厳密にいうとこの日は満月ではないのですが、中秋は旧暦(太陽太陰暦)に基づき、8月15日とされており、ややズレるんですねー。さてなぜズレるのか…旧暦と新暦のお話というのも、お茶の世界と密接に関係している話なので、しっかり勉強するべき分野ではありますが、長くなりそうなんでここでは割愛します。(いずれ勉強部屋でやりましょー)
「石州流のお点前ってどんなのかなー」と、興味津々で茶会に臨んだのですが、いろいろ度肝を抜かれる展開でした。
書院の広間に通され、菓子が運び出されたのち、点前の人と思われる男性と、もう一人女性が一緒に登場。点前座に男性が、その反対側に女性が控え、半東(お手伝い)かな?と思いきや、なにやら茶碗が男女の間で行ったり来たり…。後ろの方に座っていたので点前の様子が詳細にはわからなかったのですが、お茶が点てられてからのご説明で「点前は男女2人の共同作業」という、聞いたことも見たこともない点前だというのでビックリ。
趣向を凝らした点前
「えぇ…石州流にこんな点前があるなんて…」 (゚Д゚)
唖然としてしまいましたが、どうやらこの点前、この茶会のためだけに考案された完全オリジナルの点前なんだそうです。(石州流にこの点前の作法があるわけではありません)
月の満ち欠けは古(いにしえ)より人の生活と密接に関係しており、地球を回って満ち欠けする月を、男女の二人の間をを行きかう1椀の茶碗に見立て、さらに「炉(火)」を男性が扱い、「水指(水)」を女性が扱い、茶碗に「茶(大地の恵み)」が入れられて、火・水・大地の要素が一つとなり、人の営みが生んだ、一服の茶ができあがる…そんなイメージで点前を考案されたそうです。今回の席はある芸術家の方による演出だそうで、いろいろ考える人が居るんだなーと感心させられました。
とにかく点前でビックリ仰天、取り合わせの道具のことなんて殆ど頭に入ってきません(笑) ここまで凝りに凝った点前をやられちゃうと、もはや道具で何かを語るまでもない、といった感じでしょうか。うーむ、道具屋形無しです。(^^;)
「趣向を凝らした」というのはホント十分すぎるほど伝わってくるのですが…個人的には(というか業界的には?)、点前の創作もほどほどにして、道具の取り合わせでも、何かしら面白い組み合わせであればなぁ、と思ってしまいます。
ただ、点前座の風炉釜は面白かったですねー。土壁に用いる素材を使って、羽釜を据える古式の炉を作り、そこに合わせた釜も茶の湯の釜ではない、普段の生活で煮炊きに使うような、木地の蓋がついた鉄の羽釜。月の満ち欠けの主題から「人の営み」へと繋げて、こういう釜を用いたのは素朴でいいなぁ、と感じましたねー。
この慈光院の観月茶会、毎年の旧暦8月15日に開催され、毎回席主は変わり、様々な趣向で「月見の茶会」を行っているようです。今回は超斬新な点前でしたが、毎回こういうわけでもない、とのこと。趣向の凝らし方というのは、ホント様々なんだと思い知らされました。
茶会が行われていなくても、書院や茶席を拝観することは可能です(お菓子と薄茶一服が広間でいただけます)。ちょっと名古屋からは遠いですが、きれいなお庭が素敵なお茶室、見に行く価値はあると思いますよー。