夜寒焼染付州浜形鉢
夜寒焼
染付州浜形鉢
夜寒焼の水指のページビュー(PV)がちょっと目を引く多さなのですが…もしかして夜寒焼が気になってらっしゃる方が…?
あちらは売約済み商品につき、写真の掲載は終了していますので、代わりと言っては何ですが、別の夜寒焼をご紹介。
夜寒の里
現在の熱田神宮よりすこし北に行ったところが「夜寒の里」と呼ばれていたとされる地域です。現在熱田区には「夜寒町」という名前が残っています。この辺りは閑静で眺望がよく、月の名所として知られ、江戸から明治にかけては別荘地であったようです。
ただ、夜寒焼の窯は夜寒の里より、さらにもう少し北。現在の金山駅の北、日本特殊陶業市民会館(旧名称:名古屋市民会館)の東側にあったとされています。
初期の夜寒焼では、以前にご紹介した菱馬水指のような、お茶で使える道具・茶陶を制作していたようで、今回ご紹介する「染付州浜形鉢」もそういったグループに含まれる器か、その後の日用品を作りはじめた過渡期のものかもしれません。
器の縁が三か所、内側に歪ませてありますね。このような曲線の輪郭に出入りのある形は、「川が流れて上流から砂が運ばれてきて出来上がった土地(川に囲まれた土地=州)」を上から見た形に似ており、そこから州浜形と呼ばれます。
高台には「夜寒 凌古堂造」の銘が染付で書かれています。凌古堂とは、辻鉦二郎の号ですね。
どんなストーリーだろう?
器の側面には、染付で人物が描かれています。場面が連続して描かれており、絵巻物のようなストーリーを感じさせ、見ていて楽しい器です。
コンロで何やらナベを炊く人物。奥さんがご飯作ってるのでしょうか?
ナベをもって歩いていきます。「ご飯できたわよー」
別の人物が木の下で本を読んでます。旦那さんかな?「はいよー、今行く」
ほのぼのとした情景に、ホッコリしますねー。ご飯を作ってる場面があるのが、また面白い点です。江戸中期から日本では「南画」が盛んに描かれるようになり、尾張周辺の焼き物もその影響を受け、こういった器の側面など南画風の絵を描いたものが多数あります。
定点で見ただけでは、そのすべては伝わらない…手にとって、器をまわしながら絵を見て楽しむ。まさに「使ってこそ、生きる器」ですね。