茶入に「肩衝」が多いワケ
日々思いつくことを適当に書き綴っていきます。
「Daily Impressions」なーんて横文字を銘打ってますが、要するに「日々色々、思う事」ということです。
さらに言うと…毎日更新するわけじゃないです。
勉強部屋とは違い、とりとめもない事柄ですので、適当に読み流してもらえれば…。
「いい茶入って何かな?」って考えた時に「比較的、肩衝茶入が多いよね」ということに思い至りました。
肩衝とは
茶入の形の分類の一つですね。
小さい壷の部位を上から順番に「口・肩・胴・腰・底」と、人間の体に例えて呼び、これらの形状の特徴から形が分類されます。
(※勉強部屋じゃないんで、細かいところは端折っていきます。)
口の部分のすぐ下から横に張り出した形状をしている(肩を衝いている)ものを、「肩衝」と呼びます。
この「肩の形状」にも様々あり、いかり肩のカチっとしたものから、比較的緩やかに下がった撫で肩のものも、「肩衝」と呼んでいます。
ポイントは「肩」と呼ばれる個所に明確な段差、角度変化がある事でしょうか。この段がない、無段階で均等に広がっていく肩の形状では肩衝とは呼ばれず、「文琳」や「文茄(文琳と茄子の中間)」という風に呼ばれるでしょう。
肩衝形の茶入が恐らく一番多い形で、「茶入と言えばこれ」という代表的な形ですよね。
なぜ肩衝が代表的なのか
数が多く、代表的な形。でも、なぜ肩衝がそうなったのか…?
いくつかの茶入を見ていく内に、大体その理由がボンヤリと分かってきます。
その理由の一つとして、「景色のある茶入」が肩衝には多いのです。
「景色」
茶の湯の世界の独特の表現ですね。「山や川のある眺め」の意味ではありません。
やきものの表面を覆う釉薬が高温で溶けて流れた跡や、窯の中で焦げたり、あるいは土に含まれる成分と釉薬が反応して色が変化したり、様々な要因で現れた模様や色の変化を指して「景色」と呼びます。
これは茶入に限った話ではないのですが、特に茶入ではこの景色を尊びます。
どうして「茶入の景色」を尊ぶようになった?
これについては、さまざまな考え方があり、一概には言い切れないでしょうが…。
個人的な感覚では…「茶入という道具の特性」という側面が関係しているように感じます。
茶入のサイズは、大きいモノから小さいモノまで、ある程度の幅こそあれ…極端に大きいモノはないのです。美術品である以前に「茶の湯の道具」である以上、実用性を度外視した構造では「用を成さない」ので、もはや茶入たりえない…。(例えば、水指や釜と同じ大きさの茶入なんて、現実的にありえないですよねー?)
ゆえに造形上の制限がかなりある、と言えます。ザックリ言うと、手の中に納まるサイズ感。
この小ささだと技巧を凝らす余地が少ない、というのは感覚的に分かりますかね?
そうすると、「形の差異」に面白さを見出すのは限界がありますよね。「釉薬の変化」に面白さを見出していくのは、至極自然な流れだと思えませんか?
結局は「外側の話」を知る必要が出てくる
で、話を戻すと「なんで肩衝には景色がある、いい茶入が多いのか」ということです。
そもそも茶入は舶来のモノ(唐物)を「抹茶を入れる容器」として見立てたのが始まりでした。現代にもいくつかの唐物茶入は伝わっていますし、時代と共に失われていったモノの中には、形も様々あったはずです。そしてそれらを手本として、国内(瀬戸)でも茶入の生産が始まります。
「このような焼き物を造れ」と、唐物に倣った茶入が生産されますが、そのすべてが「よい茶入」だったわけではないでしょう。
まず器の性能として茶入に求められる役割が果たせるか、次に形・大きさ・重さは適当か、そして「景色」が良いものか…。さまざまな人の眼に晒され、選ばれ、取捨選択されていくのです。
こうして大量に作られた中から、長い年月をかけ、選びに選び抜かれた、ごく一部の茶入が「名物茶入」と呼ばれ、強烈な権威性を持ったのです。
この選ばれるプロセスのなかで「肩衝形か否か」で選ばれたとは思えません。「名物茶入=肩衝茶入」ではないからです。結果的に肩衝茶入が多くなっただけで、肩衝以外の名物茶入も当然あります。いくら形が良くても、景色が面白くなければ、景色のある面白い方が後世に残っていく。そういうプロセスで茶入が取捨選択されていったのだろうと僕は思うのです。
中身の事を考えていたのに、結局は「外側の話」も知る必要が出てくるのですねー。
肩衝の構造的な利点
「景色のある茶入」が「肩衝」に多いワケ。
これは肩衝の構造に「景色を生み出す下地」があるので、良い茶入が数多く生まれた…というロジックで僕は考えています。他にも理由があるかもしれませんが。
具体的に言うと「肩」の部分。ここの構造が他の形の茶入とは明確な差異があります。
実は「大海茶入」のなかにもこの肩衝構造を持つ茶入があったり、「尻膨」と呼ばれる形の茶入にも、肩が衝いているモノがあったりするので、大量に唐物の写しを作っていく内に「ここをこうすれば、いい茶入ができるゾ」と肌感覚で陶工が作っていたようにも感じます。
口の付け根から直角(あるいは鈍角)に肩へと広がっていく段。ここに釉薬が溜まりやすく、またこの肩口から胴にかけて釉薬が流れると、見事な景色が生まれる。
これが均等に広がっていくドーム形状だと、なかなか…そうはならない。たまたま偶然、釉薬の成分や粘性のムラがあって、万に一つは絶妙な景色が生まれるかもしれません。そういうモノは肩衝じゃなくても「名物」としてもてはやされ、丁重に扱われる。
ただ肩衝とそうでないものでは、「景色のできやすさの差」が有意に表れたのかな、という気がします。
「じゃあ良い景色って何よ?」
となるのは、まあ自然な流れっすよねー。これについては、僕の思い出話も交えて次回にしましょう。