季節の変わり目
年が明け、もう1ヶ月経ってしまいました。2月です。
毎年、我が家のお正月は、氏神様であり名古屋総鎮守である若宮八幡社と、さらに熱田神宮にも初詣をしてまして…。そこで僕は毎年のように「(多くは望みません、とにかく健康で過ごせますよう、今年も1年よろしくお願いします)・・・」と切なるお願いしているのですが…今年は2週間足らずでインフルエンザに感染。
そういう星の下に生まれたのでしょうか…(苦笑)
僕は昔からウィルスに弱いのです(インフルエンザだけで人生通産5回目)。(> <)
1月は初釜の手伝いに行ったぐらいで、後半は静養してる間に終わってしまいました。
2月といえば
「今年は寒いねー」
なんて話をあちこちで聞きます。実際、今年の冬は例年に比べて寒く、よく雪が降っている印象です。東京でも大雪が降りましたが、名古屋でもちょいちょい雪が降ってます。北陸は大変そうですね…。
先日、2月4日には「立春」を迎えたわけですが(この一日だけはちょっと暖かでしたね)、まだまだ寒さが続く模様。
そもそも「立春」を初め、二十四節季の「節季」は大陸から伝わったもので、ところどころ、日本の季節感と言葉のニュアンスにズレがあります。
二十四節季は「太陽黄道の角度」、つまり、地上から見たときの「空にお日様が昇って沈むラインの角度」によって決まります。
この角度は1日ずつ変化し、北半球(日本など)では冬至の日が最も角度が小さく(つまり空に見える太陽が低い、昼が最も短い日)、この日以降は徐々に高くなり、夏至の日に最も高いラインを通り、次の日からは角度が下がっていくのです。
立春は「冬至」と「春分」のちょうど中間地点。これから春の季節に向かっていく頃、つまり「春が立つ」日なのです。
ところで先日、某所にて「年内立春」のお話を聞きました。
年内に立春を迎える?どういうこっちゃ。まずは日本の暦の歴史について、知る必要があります。
年が明ける前に立春?
僕の身近に旧暦、および日本の季節感について厳しいお方がいらっしゃるので…僕もきちっと勉強して暦についてのお話をブログでとりあげよう…とは思ってるのですが、大変ながーいお話になりそうなので、ここではサクッと…。
かつて日本では、「太陰太陽暦」と呼ばれるタイプの「暦」を採用し、1年は「月が満ちて欠けるサイクルを12回繰り返すこと」と定義され、それの12ヶ月をベースにし、1年の長さと季節のズレを補正するために「閏月(うるうづき)」が適宜挿入されていました。これが旧暦です。
「太陰暦」では、月の満ち欠けを基準にし「朔」の日(現代的に言う新月の日)がその月の始まりとされています。
一方、二十四節季は「天球上の太陽の通るラインの角度」によって定められるため、月の満ち欠けとは関係なく、有る特定の「日」が二十四節季の「日」となります。
太陰暦の12ヶ月と、二十四節季の季節が「できるだけ対応するように補正をかけたもの」が「太陰太陽暦」というものなのです。
(なぜ「季節」と「一年」がズレるのか、「補正のかけ方」についてはまたの機会に)
旧暦1月は「二十四節季のうち、雨水を含む月」と定義されていました。「雨水」とは、立春の次の節季であり、もし立春と雨水の間に「朔」があった場合、立春は「(前年の)旧暦12月」になる場合があるのです。
これを「年内立春」と呼びます。
そもそも春って?
旧暦を採用していたころの日本では「春」といえば1月~3月のことです。
年賀状で「迎春」などと書かれていることに疑問を抱いたことはありませんか?これはその名残なんですね。
で、昔の人たちは「年が明ける前に、『立春』の日を向かえたよ」というのが、面白い出来事であり、年内立春について歌った和歌などが現在にも伝わっております。
ちなみに、今年の立春も、旧暦換算だと「年内立春」に当たります。
そう…旧暦だとまだ12月なんですねー。(今年の旧正月は2月16日)まだまだ冬じゃん。道理で寒いわけです。
また、「旧暦1月1日に立春」のパターンもあり、これはかなりレアな出来事として「朔旦立春」として、大変おめでたい日だと喜ばれていたようです。(前回は1992年、次の朔旦立春は2038年と予想されているとか…結構、レアですね)
日本の四季を知ろう
日本の文化・歴史に触れる上で、この「旧暦」とか「二十四節季」とかの話は、わりと深くかかわってくる分野の話です。
これを知っておくと、また一つ、モノの見え方が変わってきます。物事の面白さの切り口を増やす、という意味でも知っておいて損はない話ですので、折りに触れてこういう話もブログで取り上げようと思います。
旧暦の話は歴史と関係している「文系」ようで、実は天文学の「理系」の分野が絡んで来るので、ちょっととっつき難い、難しそうと思われがちですが…知れば知るほど、面白いですよー。