コトバって難しい

割とどうでもいい事を考えてしまいがちです…。

目下「尾張茶人名鑑」の過去分も含めた再編集をしているのですが…この際、ブログのアイキャッチの画像なども1から作り直して、もうちょっとオサレな感じにしようかと考え中…。

そこで横文字などをデザインに取り入れるため、ふと「茶人」という言葉の英訳を調べたりしました。

Tea Master……?

一般的には「茶人」を英訳すると「Tea Master」なのだそうです。

ゆえに「尾張茶人名鑑」を英訳すると…「Owari Tea Master Directory」という表記になるのですが…。

むむむ…個人的にしっくりこない、座り心地がなんだか悪い、なーんか変だなぁ…。

「Master」っていうのが、なんか引っ掛かるんですよねー。日本語のイメージだと「Master=達人」みたいな感じ。それって、どうなん?という気がしてしまいます。

茶道流派の宗匠なら、「Tea Master」でも、納得できるんですけどね。

宗匠に限らず、人に茶の湯を教えている人たちなら「Tea Master」呼びしても良いのかもしれません。でも「茶人」って、もうちょっと広いグループを指す言葉ですよね?教えているかは別として、自分が好き好んでお茶をしている人も、「茶人」の中には含まれている感覚です。また現代の感覚だと、お茶の教室に通っている社中、生徒さんたちは…「Master」とは呼べないし、呼ばれることに違和感感じませんか?じゃあ逆説的にこの程度の人たち(失礼!)は「茶人に非ず」なのか…いやいや、それはまた過激な発想です。

だから「Tea Master」の英訳に違和感を感じちゃう…。

言語の壁の高さ

僕は別に外国の方に茶の湯を知ってもらおう、という気はありません。(なんとなく、デザインとして英語を取り入れようとしただけで、別に排他的な他意はないですよ?)

外国の方で、日本の茶の湯を学びたいという人がいるのも知っていますし、それは素敵な事だと思います。

ただ…「ちゃんと意味通じてんのかなぁ?」って、漠然と不安に思います。言語の壁の内側にいる、日本人の大半だって分かっちゃいない茶の湯のことを、外国語に翻訳して教えることって、メチャクチャ難しいんだろうなって思います。想像以上に、言語の壁って高くないですか…???

「茶人」という言葉一つとっても、極めて複雑なニュアンスを内包した言葉なんだと改めて思う訳です。

「Master」では、なんか語弊があるように思っちゃう。だから結局「お茶をやってる人はChajin!それ以外の意味はないで!Masterとは、全然ちゃうで!」という、乱暴な説明になっちゃうんだよなぁ…。

今はITの技術を駆使して、簡単に翻訳もできる時代です。それでも機械翻訳(AIによる翻訳)で、発信者側が意図したとおりに、相手に意味が通じているのかまでは…よくわかりませんよね。そういう意味では表千家が作ってる英語ページは中々すごいことしてるなぁ…と思います。機械翻訳に頼らず、発信者が自分で考え、英語の文章で説明するって、とてもとても大事なことだよなぁ…。英語苦手だし、自分にはやろうとも思わんことだから、余計にすごく感心しちゃう。

で結局、何が言いたいかというと「茶人はChajin」としか言い表せられんよね、ということです。

もちろん「Master」には「家主、主人」という意味もあり、茶室を持っている茶人の事を「Tea Master」と訳すことに一定の理解はできるのですが……。

今じゃ自前の茶室持ってる茶人も減ってきてる時代ですからねぇー……。

やっぱ、茶人は英語でも「Chajin」でいきます!

こんな感じ。

さてさて、夏休み中に終わるかな…。(;´∀`)

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