水屋の思い出

ペットボトルのお茶の話をしたので、ふと思い出すことがありました。

まあ本当に他愛のない話なんですが…。あるお茶人との話。

ペットボトルのお茶は絶対飲まない

僕はまだ修行中で、母屋(修行先)のお客様がお茶会の席主をするというので、そのお手伝いに同行しました。

お昼はお弁当とお茶(ペットボトル入り)が用意されいたので、席主のご主人に僕が「お弁当どうぞ」と渡したのですが…

「こんなのでお茶を飲んじゃダメだ。急須でお茶を淹れなさい」

と、ペットボトルを突き返されたのです。

水屋には、ほうじ茶の茶葉と急須が用意してあったので、それでお茶を淹れて出しました。

「もっと濃くないとダメだ。茶葉の量が少ないぞ。」

…なんか、お小言いわれてたのを妙に思い出しますね…。

結局、ご主人は茶会の間ずっとこの急須で淹れたお茶を飲んでいて、ペットボトルには一切手を付けていませんでした。

僕は普通にペットボトルのお茶を飲んでましたが、それまでは咎められませんでしたけど。今思うと、怪訝な顔はしていた気がします…。だから「単に温かいお茶が好き」という話ではなく、ペットボトル直飲みに何かしら不満があったようなのです。

『世代の違い』と言えば、それで終わる話かもしれません。

上の世代は「ペットボトルから直に飲む(ラッパ飲み)」ということに抵抗を感じる、下品である、という風にとらえる人が多いのは確かです(これも大分、少なくなってきている印象ですが)。

実際、ペットボトルに直接口を付けて飲むと、そのペットボトルでは口から雑菌が侵入し、その容器の中で雑菌が繁殖します。そういうのを気にする人は、今でもペットボトルからコップに移して飲む人はいますよね。(『雑菌が繁殖する』と言っても10時間とかそういうロングスパンでの話なので、当日中・数時間のうちに飲み切ってしまうなら、そこまで気にしなくてもいい、という話もあります)

僕も含めてですが、現代はすっかり「ペットボトル直飲み」には抵抗が無い世代が多いです。単に「飲んで」「捨てる」という容器の使い方は極めて楽ですから。同じ容器で誰かと飲みまわすのなら、コップは使いますがね…。

何かと厳しいご主人

ペットボトルに限らず…その日の水屋で、いろいろお小言を言われていたのを今でも思い出します。

当時僕はまだ小僧でしたので、席主のご主人からまるで信用されていませんでした。(苦笑)

が、水屋仕事は率先してやらなければならない立場ですので、一生懸命お手伝いします。お客様のお道具を扱うので、もちろん慎重に丁寧に扱いますが、背中にやたらと厳しい視線が突き刺さります。

いやぁ、嫌でしたねぇ…あの水屋は(笑)

「(金継があるから)茶碗はそんなゴシゴシ拭くな。」

「ちゃんと茶碗温めたのか、ぬるいぞ。」

「茶碗の見込の水気をちゃんととりなさい、(抹茶が)ダマになってしまうぞ」

時より、背中から厳しい指摘が飛びます。

もちろん、言われたとおりにやっているのですよ…?

「ごしごし拭くな、ちゃんと水気を取れ」というのも、一見、理不尽な要求に見えますが、ちゃんとできます。要するに横着するな、ということ。

今思えば、あの厳しさは「道具扱うときは気を抜くな」という教えだったワケです。小僧に道具の価値も分からんだろうが、今その手に持ってる茶碗は希少で高価なモノなんだぞ、大切に扱いなさいよと、眼を光らせていたのです。

別にご主人は僕のお茶のお師匠でもなければ、道具屋の小僧を教える立場にもないんですけどね…。ただ道具の持ち主ですから、厳しくいう権利はあります。

現代はことさらに「パワハラ」とか気を遣う世の中で、何か人に指摘する事さえ躊躇っちゃうというか、「厳しく言ってくれる人」って、少なくなってきている気がします。

大事な事だったなぁ、ありがたいことだったなぁ、と思いますね。

気軽にお茶はできるのか…?

そんなに大事な道具なら、人に触らせたりせず自分で全部やればいいじゃん…

と、当時の僕は心の中で思っていました。

実際、そのご主人も自分の道具を人に触られるのを極端に嫌がる人だったと思います(道具を見せることさえ嫌がるタイプのザ・茶人)。

ただ、今は自分でも道具を持ってるから、この気持ちは少し分かります。このブログを読んでいる人の中にも、自分のコレクションをお持ちの方はいるでしょう。自分の大切な道具を、人に見せるのはまだ良いとしても、扱われる(手に取ったり、水につけたり、熱いお湯を入れたり、手ぬぐいで拭き清めたりする)のには、きっと多少なりとも抵抗がある方、いますよねぇ…?

お茶をやる以上は「自分の道具を人に触られる」「人の道具を自分が手にする」ことは、避けて通れません。それゆえに「厳しさ・緊張感」を求めていくのは、『関係性がない人間同士』にこそ、必要なんだろうと思います。道具の一つも持っていない若造に、この道具の大切さがわかるか、という疑心は…もっともです。気心知れた仲間・友人なら、きっとちゃんと扱ってくれるという信頼感があるから、ことさらに言う必要は無いしね。

今なら分かります。この時のご主人は、別に脅したり、ハラスメント(嫌がらせ)で言っているのではないのです。

お茶をやるとき、ガチガチに緊張する必要はないですが、かといって気軽にやるもんでもない。ある程度の「厳しさ・緊張感」は必須。そうでないと、主客ともに「嫌な思い」をする羽目になる。

いろんなところで「もっと気軽にお茶を楽しんでもらえれば」という、言説を見たり聞いたりします。そりゃ使う道具とか、その時々の状況によって「気軽さ」は違うとは思いますが…その度に『果たして、本当にそれでいいのかな?気軽なお茶ってナンダ?』という疑問が、僕の中から消えません。「どうぞ気楽に」といって、紙コップでお茶を出されたら、なるほどこれは気楽だなぁと思うだろうけど……これを侘茶と言うのは、違うしなぁ……。やっぱり、お茶をする以上はいい道具を使ってお茶を出したいし、客はそれを大切に扱うべきだし、お互いに緊張感は持つべきなんですよね。

この時の水屋のご主人は「亭主」と「手伝い」の異なる立場で、緊張感を求めていたと思うし、それは僕にとっても必要な事だったと思います。

…まあ、今となっては、ご主人から当時の真意を聞き出すこともできないし、僕の勝手な思い込みだった可能性もゼロではないですけどね。

実はただ意地の悪い爺さんだった、のかも…?(笑)

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