キレイにしましょ!
ご無沙汰しております。暑い日が続きますねぇ…。
連日の酷暑で店舗はさながら蒸し焼き状態…
すっかりプロモーションのモチベーションが下がり切っているのですが…何もサボっているわけではなく、こういう時はコッソリのんびり勉強をしているわけです。最近は売立目録とか、久しぶりに読み漁ってます…。
今年の「夏の自由研究」は発表はしません(あまり発表できるような面白いネタではない、かたい内容なので…)
とはいえ、ブログを放っておくのもちょっとアレなんで、久々に読み物一発ネタ…。
「古さ」ってナンダ?
何年か前にインスタに上げたことがありましたが…今回は表題の通り「茶道具のお手入れ」に関連するお話。
ちょうど、僕が通うお稽古場で先日そんな話題になったのを思い出し…。
少しでもお茶をかじっている方なら、何となく「茶道具は古いものがイイ、価値がある」みたいにボンヤリと認識してますよね。
でも「古さ」って何でしょう?
改めて考えてみると、難しいですね…。
毎年、新商品が定期的に発表される家電製品なら「形落ち」という分かりやすい比較対象があるので、「古さ」を認識しやすいですが、茶道具はそういう類のものとは違いますよねー。(無論、現代にも新しい茶道具は日々生まれているわけですが…)
化学の発達した現代なら、「放射性炭素年代測定法」という方法で、そのモノが「どれだけ時代を経てきた物か」という推定はできます。が…そういったガチの年代測定は、こと茶道具に対して行うことは非常にまれです。理由はいくつかありますが、おおざっぱに言うと「そこまで調べる意味がない」という事に尽きるのですが…。
また日々刻々と変わるファッションのトレンドや、世の中の潮流など、「何年も前に流行ったもの」という認識さえあれば、それを基準に「古い」という認知ができますね。
つまり「過去を知っていること」が「古さを知る基準」になるのです。言い換えれば「基準がなければ、古さ(新しさ)が分からない」のです。言葉にするとなんてことのない、当たり前のように聞こえますけど…茶道具はこの基準となる「過去」のスパンがファッションとはけた違いですからねー、難しいんですよ。
何れにしても「古さ」を感じるのは中々難しいですね。
でも…無意識に、何となく…「古さ」を多くの人が感じ取っている要素があります。
それは見た目。
モノは経年変化していくものです。それが陶器であれ、磁器であれ、漆器であれ、鋳物であれ…。
200年前に作られたもの、3日前に出来たもの、どちらも同じ茶碗の形をしていても、何となく見た目で「どちらが古いか」の判断はつきそうな気がしますよね。1週間前と10日前の区別は難しいでしょうが、茶道具の「古さ」ってそういう感覚です。実際は200年前じゃなくて、80年前かもしれませんが…すごく曖昧で、ファジーで、いい加減な、とらえどころのない話ですね。
「時代」ってナンダ?
さらに絵画と違って、茶道具は「実用品」であることが、さらにこの「古さ」を生み出します。
茶道具はそれぞれ道具ごとに役目こそ違いますが…湯を沸かし、抹茶を入れ、水を差し、お湯を入れて、茶筅で撹拌…といった、さまざまな『温度・湿度の変化』と『摩擦』に晒され、さらに『人の手の垢・脂』や『水に含まれるミネラル』あるいは『抹茶』などが付着し、長い年月を経て使い続けていくうちに、極めて少しずつ変化していきます。
これらが「見た目の古さ」を醸し出すのです。
こういう「道具が長い年月を経て使い込まれて、古くなった様子」の事をお茶の世界では『時代』と表現したりしますね。
修行中の思い出
僕はこの業界に入りたてで間もないころ、「こちらは時代の菓子盆です」と、先輩が茶会でお客さんに説明しているのを脇で聞いて、『何を言ってんだ…?』と全く理解が及ばずに困惑しました。それに対し「ええ、そうですねぇ。いい時代がかったツヤがありますねぇ」と、首肯していているご婦人。『おおお?時代がかった…?何のことだ…?』とさらに困惑(笑)
僕は元来、疑問に思っても人にあまり質問せず、一人であれこれ考えてしまう、引っ込み思案な性格でして…。なんだかモヤモヤしておりました。
そこへ別のご婦人が「時代って、ナニ時代なのよ?」と聞き返してくれた時には内心ガッツポーズ(笑) すると先輩は「厳密な時代は分からないのですが、恐らく江戸の中期ごろから後期でしょうね」とサラリと回答。『あ、そんなんでいいんだ…』と、ようやく「時代」という言葉の意味が断片的にわかりました。
つまりこの「時代の菓子盆」というような場合…「古さ」を表現する修飾語としての「時代」という言葉であり、「〇〇時代」という歴史の教科書で習った区分を指し示す接尾辞としての「時代」とは違うのです。
「古けりゃいい」ってモンじゃない…
とはいえ、見た目だけで「古さ」を判断するのは「結構いい加減な話」です。
100年使い続けられたのか、10年使い続けられたのかは大きな違いですけど、見た目でそれを明確に判断する基準はありません。あくまで見た人の印象に因るところが大きいです。
さらに「古ければいい」という単純なものでもありません。たとえ本当に古くても、お茶道具として実用に耐えられないほど「ボロボロに劣化している」のであれば、それは良いものではありませんね(考古学的に重要な価値があるという見方とは異なるのです)。
また「本当に古いものけど、全然使ってない」というのも、ちょっと価値基準としてはブレてくるものです。つまりほぼ新品。これだと「使い古した風情」はまったくないですね。
そして中には「本当は古くないけど、古そうに仕立てた紛い物」も中にはあるのです。本当に日々、お茶を点てて大事に使い続けたのではなく、様々な方法で「時代を付ける」ということが可能なのです。「贋作」みたいな話になってきますが、これはちょっとニュアンスが違いますかね。
でね、結局のところ…こういう「時代」っていうのは、意味を極限まで還元していくと…つまり「汚れ」なんですよね。
程度・好みの問題
茶道具の中でも、特に「茶碗」は別格です。何が別格かというと「時代の付きやすさ」です。
無論、その他の茶道具も使用し続けることで経年変化していきますが…。中でも茶碗はもっとも「人の手」に触れる機会が多く、さらに「茶」「湯」「水」が入れ代わり、立ち代わり…また素材も「陶器」であることが多いので、表面は多孔質で、その隙間に粒子が溜まりやすい性質のものが多いです。
回りくどい言い方をしましたが、実も蓋も無い言い方をすれば「茶渋がよくつく」という話です(笑)
この仕事柄、古物を取り扱っていると、茶渋がメチャクチャつきまくった茶碗に遭遇します。そもそも抹茶を点てる茶碗は、「洗剤を付けて洗う」ことはご法度であり、精々お湯につけて素手でこすり洗いをする程度。これを長年続けると、もともとの茶碗の色が分からなくなるレベルで茶渋に覆われるのです(中には、意図的に「茶渋(のようなモノ)を付けて、汚しててある」ものも混在していますが…)。
そりゃもう、見るからに「古そう」に見えます。
ですけど…「美しいか?」という観点がクロスオーバーしてきます。
このバランスが肝要なんですね。
結局、「時代」と呼ばれる「使い古された風情」は、度を超すと「美しさを阻害する要素」でもあるのです。
かしこまった言い方していますが…僕らしいカジュアルな言葉遣いで言い換えれば「きったねーじゃん?」ということ。
だから僕はクリーニングをするのです。「茶碗を洗う」のとはちょっとレベルが違う行為なので、僕はあえて「クリーニングをする」という言い方をします。
「時代を落とすなんて、トンデモナイ」
という方も、恐らくいると思います。実際、長い年月を経て「使い古された風情」というのは、基本的に再現が出来ない代物(別の方法で簡単にできちゃう人も世の中にはいらしいですが、それは別のお話)なので、取り返しがつかない危うさがあります。
そして「ピカピカの新品」よりも「使い古した道具」のほうが、市場価値が付きやすいという特性があるのも、影響しています。
要するに「時代を落としたら価値が下がる」という観点で、古い茶道具などを過度に洗浄することは、あまりいい事とされません。
「骨董的価値観」と「美術的価値観」のせめぎ合いですね…。僕はどうしても「茶碗は人の口に直接触れるものだから」という観点で、過度な汚れは許容できません。これは完全に「好みの問題」なんです。
僕の中での基準は「お湯につけ置きして、濡れた茶巾でこすって取れるような汚れはすべて取る」のが最低ラインです。茶碗を点てる際、「湯通し→茶巾で拭く」という一連の動作があり、この行為は避けようのないことですし、これで落ちる汚れは「点てるお茶に混入する恐れがある汚れ」と考えられるからです。
さらに茶碗の美観を損ねる汚れは徹底的に落とす場合があります。具体的な方法は伏せますが、もし茶碗のしつこい汚れでお悩みの方がいたら、ご相談ください。