変わる価格と、見直される価値

昨今、さまざまな界隈で「価格に関する話題」が事欠きませんねぇ…。
何とは言いませんが…「ああ、あの事か…」と、よぎる内容は人、それぞれでしょう…。
為替で円が下落、日経平均株価は上昇、さまざまな物価が上がり、物価の優等生と言われた卵も過去最高の価格、金や銀はもはや安定資産とは言えない投機の対象に…。
「経済」は常に日々刻々と変わりゆくものなので、仕方がないです。
とはいえ急激な変化には身構えてしまうのが、人の性(さが)。
「価格に関する話題」で、最近ビビっと来たのがコレ。
Yahoo!ニュース
緑茶飲料、単価アップが急務 背景に原料茶葉の急騰と価格転嫁に立ちはだかる価格競争
https://news.yahoo.co.jp/articles/30c29143bb39f88153d84b6929eeb3999b51a317
抹茶が世界的なブームとなり、日本国内の碾茶(抹茶のもとになる茶葉)の価格が3倍にも4倍にも跳ね上がって、それが抹茶の価格にも反映されて高くなっている…。
というのは、1年ぐらい前から聞いてて「あー、茶道人口が減ってるのに…なんだか変なことになってきたなぁ」と思っていたら…影響は抹茶にとどまらず茶葉全域に…。
世の中、「需要と供給で価格が決まる」とはいえ、ここまで急激な碾茶需要の上昇は、産業構造にも大きな影響が出そう…と思っていたところでの、このニュース。売れる「高い抹茶」に対抗するには、煎茶も値段を上げざるを得ないのよね。
そりゃあ、生産者としたら「高く売れる茶葉」を育てたほうが、儲かるってなら、そうするよねぇ。
碾茶と煎茶では、同じチャノキでも栽培方法が決定的に違うので…碾茶に転向した分、煎茶の生産者が減る。それで困るのは、煎茶を売ってるメーカー。そういや、妙に「ほうじ茶」が手に入りにくくなったなー、って気がしてたな。
価値は変わるのか…?
こうも「価格に関する話題」があちこちで飛び交うと、本当に身構えてしまいます。この世界、大丈夫なのか?と。
現に僕は「円の価値がどんどん下がっていくんじゃないか…」って、身構えています。かつて1ドル80円だった時代も経験しているので、今の相場の変動に危うさを感じます。安けりゃいい、高けりゃいい、という話ではなく。分散投資を本格的に検討しないと、怖くなってきた。
とはいえ、この仕事柄、こんな風にも思っています。
『そもそもモノの価値って、そんなすぐに変わるモンじゃない。』
というのが今の僕の感覚です。これはあくまでも「現状の感覚」なので、近い将来変わっているかもしれません。

「価格」はあくまでも「価値」を表す一つの基準、モノサシに過ぎません。目まぐるしく変動する「価格」…一体、何が起きているのか…?実は「価値が大きく変わっている」わけではありません。様々な人の思惑が絡んで、結果的に変化しているのは「価格」であって、「価値」ではない…という考えを僕はしています。
先ほどの茶葉の話と同じことです。茶葉の生産者がことごどく碾茶生産に移ってしまうと、煎茶を育てる生産者がいなくなってししまう。だから「値上げをする」、これも一つの「価格変動が起きる思惑」です。茶葉の価値が大きく変化したわけではないのです。茶葉は茶葉です。今まで作ってきた物と同じものです。

「うーん!同じお茶でも、150円の時より230円になったら、一段とおいしくなったねぇ!」
…まぁ~、そういうことも、無くは無いんでしょうが…。
恐らく……いや、絶対、気のせいかと……(; ´∀`)
価値を図る分かりやすいモノサシは「価格」です。現代でこそ、科学的に「何がどう違うのか」という分析は可能です。うま味の成分、渋みの成分、数値で比較すれば優れている、劣っているのが、一目瞭然。それも価値を図るモノサシ。でも正直、それが「価値」と言われても…イマイチピンときませんよねー。
結局最後は「買う人の決断」に因るんです。それを「買うか」「買わないか」は「価値を認めるか」「認めないか」ってことですから。価格は上がっても、それは「価値は今まで通り、経済的な煽りを受けての価格上昇」なのか…?「価値を見直されて、需要が積み重なった結果の価格上昇」なのか…?
それを買う側に納得してもらえないと、恐らくこの先の物価上昇局面で、モノはどんどん売れなくなっていくように思います。
価格が変わることで、見直される「本来の価値」
お茶の話に戻しますと…ペットボトルのお茶が値上げされたことによって、「価値が見直される」ということも起こると思っています。
生産者、あるいはメーカーの様々な思惑によって、変動する「価格」とは別のサイドで、「お茶の飲み方」の「価値の見直し」が起きるのではないか…?
どうせ、お金を払うのなら…「より美味しい茶を飲みたい」と思うのも、人の性。
ペットボトルでのお茶の最大の利点は「利便性」と「手ごろな価格」。価格上昇によって、「手軽に飲める飲料」のポジションが、お茶以外の飲み物(ミネラルウォーターとか、炭酸水とか)にとって代わられる可能性もありますが…同時に「お茶の飲み方」を見直すことも起こるかな、と。
「まるで急須で淹れたような美味しさ」とは、あるペットボトルお茶飲料の売り文句でしたが…。実際、きちんと急須で淹れるお茶は美味しいし、これが本来のお茶の飲み方。適度な温度のお湯に茶葉を浸し、うま味成分を抽出して飲むものです。
ペットボトル飲料では、すでに「出来上がった状態」で販売されています。ですが急須で淹れるお茶は「自分で抽出する」という手間がかかりますが、そこに「人の手が介在する余地・選択肢」があります。苦めで濃いお茶が飲みたいのなら、ゆっくり時間をかけて抽出するとか、うま味たっぷりのお茶が飲みたいなら、氷抽出をするとか。もちろん「茶葉を選ぶ」というのも選択肢に入ってくるでしょう。抽出に使う「器」でも、味わいに変化が生まれる。
『せっかく飲むならお気に入りの器(尾張国焼)で…』という風に、ならんかな?(笑)

今でもこの「選択肢」は沢山ありますが、ペットボトル飲料の利便性につられて、目に入ってなかった。「手間がかからない」「価格が安い」「どこでも手に入る」という究極の利便性によって、ペットボトルでお茶を飲むことが「当たり前」になりましたが…その利便性を得る事とは、同時に「選択肢を見失っている」とも言えます。
自分で選ぶ楽しみ、それこそが「価値」の本質なんじゃないかと、感じます。
実際、僕は最近「コーヒー豆の価格高騰」を理由に、家で自分で淹れて飲むコーヒーの代わりに、紅茶を飲むようになりました…。紅茶も高くなってきてますけどね。価格が変わるということは、いろんなことを見直すきっかけになると感じています。
同時に「手間を惜しむことは、かえって人生の豊かさを手放している」ようにも思えてきました。世の中なんでもかんでも、「コスパ」「タイパ」で考えちゃうと、何というか、つまらない。パフォーマンスも大事なことだとは思いますが…もうちょっとマイペースに生きていいんじゃないの?という気がしています。

