佐治製陶 阿蘭陀写菓子器

その他器

柔らかな白地鮮やかな青が特徴の佐治製陶の阿蘭陀写です。

阿蘭陀=Holland=ヨーロッパの焼き物

「阿蘭陀」と聞くと、直感的に「オランダで作られた焼き物」というイメージがあるかもしれませんが…厳密には違います。

江戸時代、日本は鎖国をしていたとはいえ、いくつかの国とは交易がありました。中国ともう一つが「Holland」こと、オランダです。

16世紀後半~17世紀、オランダは独自でアジア航路を開拓し、スペイン・ポルトガルに対抗するため、当時世界有数の鉱物産出国であった日本(徳川幕府)に協力的な態度をとって、寛永16年(1639)、幕府が発布した来航禁止令によってポルトガルは撤退、鎖国下の日本で欧州諸国として唯一、長崎出島での交易を認めらました。

オランダ東インド会社は開国までの200年間、ヨーロッパと日本をつなぐ唯一の商業ラインとして機能しました。

戦乱の世が終わった日本では、有力大名や富裕商人が、こぞって様々な舶来品を求めるようになります。中国からは染付や青磁といった磁器、オランダからはヨーロッパ各地の焼き物が、日本へもたらされました。「阿蘭陀=Holland」とは、入ってくる窓口となった地域の名前であり、実際にはオランダ以外の国の焼き物も、オランダ経由で日本に入ってきています。

日本の茶人が中国の景徳鎮民窯に注文して焼かせた古染付のように、ヨーロッパ各地の焼き物の中でも、特にデルフト窯の「柔らかな白地に青い絵が描かれた焼き物」が好まれていたようです。

そして、江戸中期から活躍した尾形乾山(1663-1743)はこの阿蘭陀の写しも手掛けており、乾山の著書「陶工必用」の中には「阿蘭陀焼」の言葉が出てきています。

鮮やかな青い釉薬は江戸時代から続く、日本人に好まれた焼き物だったことが窺えます。

陶器製造販売・宇佐美屋

伝統的に人気が高い阿蘭陀。明治の時代になって、それを名古屋で作ろうとした人が現れました。

もともとは尾張藩の御蔵元だった、宇佐美屋(うさみや)の佐治春蔵です。(近いうちに、勉強部屋でもご紹介いたします)

宇佐美屋は江戸時代から明治、大正、昭和にかけて、尾張藩御蔵元→陶器販売業→陶器製造業→タイル製造業へと業態を変えていく中で、このような阿蘭陀写の焼き物を作っていた時期がありました。

こちらの鉢は明治時代に生産されたものです。

ベースに白い化粧掛けを施し、その上から鮮やかな青色の釉薬で菊や桔梗の絵を描いています。

白の地の部分を窓のように残しつつ、全体を青で塗りこめたデザインは、やや簡素でありますが、芙蓉手の染付磁器の写しを作った阿蘭陀に通じるところがありますね。

共箱が添っていまして、「佐治造之」の焼印が捺されています。

この不思議な枠は…「宇佐美屋」の屋号がもともとは「兎見屋」だったことに因んで、兎の形を模っています。可愛らしいですね。

さらに中央にはもう一つ焼き印が捺されており、「中央線 開通記念 祝賀会」とあります。これは明治44年(1911)、当時の国鉄・中央本線(名古屋駅~塩尻駅~昌平橋駅)が開通した記念に作られたものです。ついに鉄道で名古屋~東京間が一本につながり、それを祝しての会が開かれた際に、おそらく記念品として配られたものでしょう。

直径15㎝、高さ8.5㎝の程よい大きさの鉢です。

3~4人分であれば、菓子を盛る器としても、懐石で料理を盛り込む器としてもお使いいただける大きさです。

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