前田壽仙堂

「暦」の深遠

勉強部屋・特別編。「暦を知ろう」シリーズです。

今日は新月、そして旧暦における正月(旧正月)。というわけで、美術商のブログにあるまじき、ちょっと 理系 なお話です。

理系のお話、というと、数式や論理アレルギー体質の人は逃げ出したくなるかもしれないので、軽~く、概念的なものからご紹介。

「明日、夜ご飯を一緒に食べに行きましょう」

「来月末までに、会議の書類をまとめておいてくれ」

「去年の今頃は、こんなに雪が降ってなかったよね~」

現代を生きる僕たちは、さも当然のように「日」「月」「年」という概念を使って、意思の疎通を図っていますよね?

これがないと、非常に不確かで、効率が悪く、生きるのが大変です。

「今度、夜ご飯を一緒に食べましょう」

「今度までに、会議の書類をまとめておいてくれ」

「前は、こんなに雪が降ってなかったよね」

「今度って、『いつ』だよ!?前って『どれぐらい前』だよ!?」……という、ツッコミが嵐のように吹き荒れるでしょう。(笑)

「今」と、「ある特定の時間が経過した時点」を比べ、その長さを表す単位

これは原始・古代の人類が、生活をより豊かにするため、考え出された概念なのです。

人類の叡智の結晶とも呼べるものが「暦」だともいえます。

時を知る

古代の人類はいかにして時を知るのか?

ある人は昼間、太陽が昇り、沈むのを見て

またある人は、夜中の空に現れる月の満ち欠けや、星座の位置が変わることを見て

またある人は、温かくなったり寒くなったりする、季節の変化の循環を感じとって

「時間が経過している」ということを知ります。

原始の人類は、これらの「不思議な変化」を人類の手の及ばない出来事として、人ならざる高位の存在(=神)と結びつけ、がんばって理解しようとしました。のちに「宗教」と結びついたり、現在でも「星占い」「予言」はこの一分野が発展したものです。

一方、「変化の規則性」をより深く理解し、観測と計算に基づいて様々な「予測をする」ことは、実質的な意味で人類の生活を高度に発展させていくことにつながります。これが暦の発展の歴史ともいえます。

太陽が昇り、沈む

「今昇っているお日様が沈んで、また昇ってきたたら、一緒にご飯を食べましょう。」

たとえば、こんな約束をしようとしたとき、「お日様が昇って沈んで、また昇ってきたら」という時の変化を表すコトバがあれば、もっと簡単に、より円滑に意思の疎通が図れますよね。

これが「1日」という概念の始まりです。

こうした規則性のあるサイクルの概念が定まることで、「今」を基準とした「過去の出来事」や「未来の予定」について、振り返ったり、計画を立てたり、また時間の経過を計ることで、様々な物事を理解・分析ができるよう、人類は進化してきたのです。僕はこれを勝手に「モノサシ」と呼んでいます。(専門用語でもなんでもないです)

厳密に「1日」をどう定義するのかは、時代によって変化していきます。天文についての知識が浅い太古の時代は、単純に「日の出~日の入り」までが「1日」であったと言われています。

やがて天体をより細かく観測し、その周期性をより正確に理解しようと、天文学が発達していくにつれて、「地球がクルクルと独楽のように回転し、太陽の光が届く時間帯と、そうでない時間帯(つまり昼と夜)を繰り返している」ということがわかってきて、現在でいう「1日」とは、「地球の自転の一回転=1日」、という認識になっています。

月が満ちて、欠けてゆく

「次の満月までに、会議の書類を揃えておいてくれ」

なんだかロマンチックな響きですけど…こんなフワッとした重要な指示はご勘弁願いたいですねぇ…。

太陽が昇り、沈み、また昇るまでのサイクルとは別に、古代の人類は「月が満ち欠けする」という一連のサイクルがあることも知りました。

月は毎夜、空に現れ、そのたびに「地上から見える姿」が変わります。太陽は直接みることができませんが、月ならばこの変化を観測することは肉眼でも可能です。これが一定の周期性を持ち、しかも「1日」というサイクルよりも長い期間をかけて周期しているので、「新月→満月→新月」の1つのサイクルを「1月(ひとつき)」と数える概念が生まれました。

短い時間を指し示すのには「日」で、それよりも長いスパンのことを指し示すのには「月」があると便利ですよね。「太陽が昇り、沈むのを60回」と数えるより、「月が満ちて欠けるのを2回」と数えたほうが、効率いいですし、間違えにくい。

ただし現在のカレンダーでいう「1ヶ月」は、この月の満ち欠けとは「無関係」に設定されています。これは暦の変遷と関係があります。

古来、人類は新月の日「月の始まり」としていました。

「新月」の日をループの始まり、基準点として捉えるのは、人に備わっている生死観とも繋がる気がしますね。(無から生まれ→満ちて→欠けていき→無になり→また生まれる)

このサイクル(朔望月、といいます)を「1日」というモノサシで計ると、大体30日(厳密にいうと、約29.5日)なのです。観測機器の無い時代、ここまで正確に月のサイクルを「1日」というモノサシで計っていたわけではないでしょう。それでも…

「ある新月の日から数えて30日が経過して、次の新月の日を迎えた」

「しかし次の新月から、また次の新月の日を迎えたのは29日であった」

このように観測を延々と続け、「どうやら大体30日で月の満ち欠けが一巡りする」、ということはわかっていたようです。

巡る季節

「一つ前の寒かった頃って、こんなに雪は降っていなかったよね~」

今までの流れからして、ピンと来た人もいるでしょう。「1日」のサイクル「1月」のサイクルときて、さらに長い期間をかけて、規則的に周期するサイクルがあります。それが「季節」

このサイクルは地球上、どこでも同じというわけではありません。日本の場合だと「春・夏・秋・冬」でしょうが、場所によっては「雨季・乾季」の2つだったり、もっと原始的な捉え方だと「暖かい季節・冷たい季節」という季候の変化が、地球上のあちこちで、しかも非常に長ーい間隔で周期しているのです。

「日」や「月」と違って、この季節の変化のサイクルを捉えるのは容易ではありません。ぱっと誰にでも分かりやすい指標がない。

現代人であれば「今は2月だから、寒い季節」などという捉え方ができるでしょうが、こういったカレンダーによる12ヶ月の月のサイクルが成立する以前はどうしていたのか?

モノサシがないので、「実際に起こった環境の変化」を見ることでしか、今の季節を知りえません。

たとえば「あそこの草原に花がたくさん咲く時期」とか、「あの海の沖合いである魚がよく獲れる時期」とか、厳密に数値としてではなく、実際に起こっている現象として、季節を漠然と捉えていました。

人類の生活が高度に発達していく、とはすなわち、農業や漁業という「生きるための活動」の発展です。

季節を知り、予測することができれば、それに基づいて計画を立て、より効率よく、より生産性を高く、より豊かに生きることができる。

「月の満ち欠け」を「1日」というモノサシで計ったように、この季節の循環も、人類は日々の観測と計算によって、この循環の「周期」を解明していきます。

そして「どうやら12回、月の満ち欠けを繰り返したら、季節が一巡りするっぽいぞ」という周期を見出します。

これが「太陰暦」と呼ばれる、暦の始まりです。暦とはつまり、季節を知るための「モノサシ」なんですね。

季節の循環を知ることで、ただの「1月(ひとつき)」と数えていたが、季節と結び付けられて、それぞれ固有の性格を持ち始めます。これが「二月(にがつ)」だったり「如月(きさらぎ)」という、季節と月を同時に表す固有名詞になっていくのです。

まだまだ序の口

「太陰暦」という暦がでてきましたね。この暦のポイントは

  • 新月の日を「月」の始まりの日とする。
  • 30日(もしくは29日)で、次の月が始まる。
  • 最初の月から数えて12の月が巡ると、次の新たな「年」が始まる。

簡単にいうと、こんな感じ。

しかし現在、この暦が用いられているのはイスラム圏の国が中心で、殆どの国や地域では用いられていません。

※イスラムの世界では「宗教」と「太陰暦」、とくに「月」の考え方が強く結びついているため、この暦を使い続けていますが、現在は別の暦も併用しております。

なぜか。

太古の人類たちはこの「暦」に合わせて生活してきましたが、長い期間この暦を使っていくと、どうも「季節の一巡り」の時期が合わなくなってくる、という問題が発生するのです。

わかりやすく、人間に一番身近なモノサシである「1日」というモノサシを使って解説します。

「太陰暦」によると「1か月は30日(or 29日)」で、「これを12回繰り返すと次の年が始まる」ということなので、30日の1か月と、29日間の1か月がちょうど1年の半分ずつだとして…

30×6 + 29×6

日数に直すと354日。しかし、実際に季節が一巡りするのには、365.25日ほどかかっていたのです。

※「ん?1年は365日じゃない…?」というツッコミ、今は我慢してください…

「どうやら12回、月の満ち欠けを繰り返したら、季節が一巡りするっぽい」と、実際に起こった季節の変化を元に推察したのですが、厳密にはそうではなかったのですよ。

1年では「約11日」のズレであり、数年ではこのズレも曖昧でわかりにくいですが、これを3年繰り返すと約33日10年繰り返すと実に約110日ものズレが生じる。

(はい、ここ。この赤線が引いてあるところ、次回のテストにでますからね~覚えておいてください)

当時の人類がこのズレに気付いたのは、「暦を適応してみてからの、実際の季節の変化」を目の当たりにしてのことでしょう。

たとえばこんな状況が発生します。

「4の月の初め(つまり新月の日)は毎年、作物の豊穣を願って、神に祈りをささげる日」だったとして、これを354日間のサイクルで繰り返したとします。

「あれ・・・この行事のときって、前は暖かかったけど、今寒くない?」

「太陰暦」では、実際の季節からどんどんズレていき、神に祈りをささげたところで、作物はうまく育ちません。

「季節の一巡り」は月では計れない、と気付いたわけですね。

暦の歴史は試行錯誤の繰り返しでもあります。

閏という考え方

太陰暦では、実際の季節の循環が正確に反映できず、これでは人類の生活に支障をきたします。

そこで、実際の季節の循環を反映させ、補正を利かせた暦を作ろう、となるわけです。

ここで登場するのが「閏(うるう)」という考え。

現代人が広く一般的に使っている現在の暦(=カレンダー)にも、この考えが反映されてるのは、よく知っているはずです。今年は「閏」の年ではありませんが、4年に一度(厳密に言うとちょっと違いますが)、2月が「28日間」ではなく「29日間」の年がありますよね?これも、根っこは同じ理由です。

「閏」を用いて、太陰暦がさらに進歩し、「太陰太陽暦」と呼ばれる、かつて日本でも使われていた「旧暦」が生まれます。

次回は「太陰太陽暦」ができるまで、人類はいかにして正確に「季節の一巡り」を知るのか。

ちょっと理系成分が多めになりそう…。(^^;)

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