前田壽仙堂

名工・春岱-その2

今回こそ、春岱の続きのお話です。名工にまつわる、もう一つの切り口。もう一つの側面のお勉強。

名工ゆえに・・・?

その1で紹介したように、名工として名高い春岱ですが、実は贋作がたくさん作られている人でもあります。

ふと思いつきで、Google画像検索で「春岱」と入れて検索してみて、びっくりしましたよー。いやぁ・・・・・・すーっごい数あるんですね・・・「春岱」印の種類って

こういう情報もクリック一つで簡単に調べられてしまう・・・ちょっと恐ろしさを感じます。うーん、悪いことはできませんね!(元来ビビりのヘタレなんで、正直にしか生きられない人間なんですが・・・)

いい加減なこと書いちゃうと、いろんな人に怒られそう・・・ネットって怖いなぁ、なんでこんなブログ始めたんだろ・・・。怒られないためにも、勉強しないと・・・。

閑話休題。

当時から大変人気であったのも、春岱の贋作がつくられた一つの理由ですが、この時代特有のもう一つの側面があるのです。ただ「悪質な贋作」と、切り捨てるには忍びない事情・・・贋作が作られたもう一つの側面・・・それは「陶工たちの困窮」です。

陶工たちの困窮

「その1」でも述べましたが、そもそもの春岱が活躍したころの時代背景として、江戸後期、瀬戸は「陶器が売れなくてピンチ!」だったという事情があります。

国内で大量生産が可能になった磁器の流行に押され、陶器の需要が減っていく。こうなってしまうと、藩としても産業を守るため、需要に対して作りすぎないよう、生産を抑制する措置を講じるのです。それが「窯屋1軒にロクロ1挺」「窯を継ぐのは長子のみ」などの規制です。この時点ですでに職を失い、日々の生活に困った人たちが出てきていたでしょう。

そして明治維新へ・・・

追い打ちをかけたのが明治維新です。御窯屋を初めとする「藩の庇護を受けていた瀬戸の陶工たち」は、維新の影響で路頭に迷ってしまいます。

陶工たちにとっての維新とは、現代風に言えば、長年、勤めていた会社が突然倒産したようなもの。武家の人間にも同じことが言え、経済的な混乱が少なからずあったに違い有りません。現代社会のような教育を施されていない人たちですから、陶芸以外にこれといって知識もなく、転職なんて簡単にできるものでもないでしょうし・・・。

一方で維新を迎えてなお「春岱の器が欲しい」という需要は一定数はあったと思われます。その1で活躍中から大変な人気があったことは述べましたよね。維新によって、その名声・需要が一瞬で消え失せる、というのもなかなか考えにくい話です。

また藩の庇護を失うと同時に、藩による規制も無くなり、「誰でも、いくつでも、自由に作陶してオッケー」の時代が到来。ここまでお話すればピンとくるでしょう。

恐らく生活に困った陶工たちは、自分の作品に「春岱」の印を捺して、売っていたと考えられるのです。贋作といっても、この時代背景を鑑みるに、「金儲けのためにコピーする悪だくみ」というより、「食うに困った果てに、(春岱の印なら売れるぞ・・・)という甘言に乗っかって、やむにやまれず、やっちまった」感があるんですよねー。とはいっても、贋作はどこまでいっても贋作なんですが。

数多伝世する春岱の作品

困ったことに、春岱の作品と、春岱をまねて作った贋作は大体が同じ時代(幕末~明治初期)に作られているんですね。ですので時代で真贋を見分けるのは難しいです。(放射性炭素年代測定法でもムリかも?)

春岱の印銘の見よう見まねか、「縦楕円の中に春岱」という情報だけを頼りに印を制作しているせいか、中にはできの悪い春岱の印のものもあります。さらにはただ「春岱」と手で彫っただけのものさえあり、いかに贋作が多く作られていたか・・・というよりも、いかに陶工たちが食うに困っていたのかが伺い知れるのです。

「じゃあ、どの印が本物なの?」

「偽モンの話とかどうでもええわ、本物を見せろ」

・・・ごもっともでございます・・・。

前置きしておきますと、春岱の作品は印影だけで判断するものではございません。彫り銘のものもあり、これにはきちっと春岱の花押が一緒に彫られておりますし、さらに言えば「無銘」の春岱の作品もあります。必ずしも共箱が添っているわけでもなく、共箱だからといって中身を見ないで判断することもできません。(理由は後述)

では、勉強のために色々作品を調べ、「これは!」というものを見つけたので、ご紹介します・・・。

こちらの印は、その1でもチラッと紹介した、御本立鶴茶碗を写した作品の高台内に捺された印影です。「印ぼやけてわかりずらいわー」「なんで印影だけなんや・・・」との文句が聞こえてきそうですが、後述の諸事情により、作品全体像を掲載することは控えます。写真の代わりに、と言ってはなんですが、僕が勉強した「これは!」という、春岱の特徴・ポイントを簡単に紹介いたしますと・・・

  • 伝来の名品の特徴を的確にとらえつつも、春岱らしさも発揮している点
  • 高台の作りの丁寧さ
  • 腰周りの特徴的な造形
  • 共箱に入っている

「箱でモノを判断しちゃイカン」

現代では日本各地に美術館があり、入場料を支払えば誰でも素晴らしい美術品を見て、楽しむことができます。情報化が高度に進んだ今でこそ、簡単に有名な美術品は調べ、知ることが出来ます。

しかしこの時代、市井の人たちは有名な美術品・茶道具を見ることはもとより、美術品の詳細な情報を知るすべすらありません(あって噂話程度でしょう)。相当な富豪か、茶の湯に関する高い教養を持ちえる地位階層の人間だけが、この情報を有しています。御深井焼に参加し、尾張藩との関係が深く、また茶の湯を嗜む武士たちとも交流していた、春岱だからこそできた「写し」の作品と言えます。(「写し」について、前回の勉強部屋にて解説してあります)

「御本立鶴茶碗」とは、簡単に言うと「江戸初期~中期に、朝鮮釜山窯に注文して作らせた、鶴の絵がある茶碗」です。(簡単すぎるか・・・?)これを手本とし、「写し」として制作されたのが、この春岱の茶碗です。「写し」といっても、忠実な再現ではなく、本歌の要点はおさえながらも、春岱らしい茶碗として仕上げてあるのです。

高台の割高台の切れ込みの数は本歌に忠実に、しかし高台全体の造りは春岱らしく、丁寧な彫の造形です。また腰回りの特徴的な造形も、本歌には見られない、春岱がよく使う技法が用いられています(恐らく施釉のために重要な役割りを果たす一つの特徴、と僕は考えているのですが・・・)。印影も大事ですが、やはり作品自体の出来が重要です。おかしな印が捺されているものに、こういった特徴を備えるものはありません。

「その1」で紹介した箱書は、別の茶碗の箱書ですが、こちらの御本立鶴写も共箱に入っています。くどいようですが、箱だけで判断したわけではなく、中身が重要ですよ~。

これは春岱に限った話ではありませんが、箱書は作者を判定することにも用いられる性格上、後世になって書体を真似た偽書が作られている場合もあるのです。さらに悪質な例としては、もともと共箱に収まっていた真作を別の箱に入れ、共箱に贋作を入れて、それぞれ別々に流通させることさえ起きています。(箱書き自体が、道具の真贋において混乱を招いている一因ともいえますね・・・)ゆえに、父からは「箱でモノを判断しちゃイカン」と常々言われております・・・。ですが、中身がきちっとしたもので、その上で箱も揃っているものは嬉しいもんです。

これら点で、この茶碗は様々な次第が揃っており、「これは!」という春岱の茶碗なわけです。

諸事情、とは

この勉強部屋は、まず「お客様に興味をもっていただくこと」をモットーに、郷土の美術に対するお話をいろんな切り口で紹介していくコーナーとして、僕がいろいろ試していることなんですが・・・ただネットで情報を知って、それだけで満足されてしまっても、いけないなー、と思うのです。(;´Д`)

この辺のバランス感覚が正直難しくって、何でもかんでも見せりゃいい、ってもんでもないのかなーと・・・いろいろ模索中といった感じです。

まあ、ともかく・・・春岱についてご興味がわいた方、ぜひ店頭までお越しください。(事前に「これ見せて!」と連絡を下さると幸いです。)現物を見て、さわって、(ご納得いただければご購入して・・・)楽しんでいただけます。

あえて全体像を掲載しないのは、そういった事情があるからです・・・どうかご理解ください。<(_ _)>

ネットで情報を漁るだけではなく、どうぞ実物を触りに、遊びに来てくださいね~。

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